そっと気遣わしげに呼び掛けられた声音、そこに何かを感じ取りルフレは青年に意識を向ける。
想い人が自分に秘密を持っていることを示唆されて、色を失うルフレの顔を覗き込む青年は、申し訳なさそうにしながらも続けた。
「師匠は……どうしたいですか?」
「え……」
誰か人が来はしないかと気配を探っているのか、一瞬耳をすますような仕草をしたマークに強く視線を据えられて、すぐには反応できなかった。
「……すみません。本当は、以前の師匠とクロム様のこととか色々説明して、じっくり考えてもらいたいんですけど、僕も何度もここに来るのは難しいと思うので……。選んで、ください。師匠が記憶を失くす前、僕に頼んていたとおりクロム様の元を離れるか……このまま、あの人の側に居続けるか」
「……選ぶ、って……でも、」
「もちろん、今の師匠は何も知りません。僕が今話したことだって、正しいか判断できる材料を何も持ってないですもんね。それで決断しろだなんで、無茶苦茶だっていうのは分かってます。でもだからこそ……色々なしがらみに左右されていない、ありのままのあなたの心で選んでほしいんです。……大丈夫。どちらを選んでも、僕は絶対……絶対、あなたの味方ですから」
絶対に、と何度も何度も繰り返すマークの声は静かで、真摯で、その眼差しと同じくらい誠実だった。ひとかけらの嘘さえないと、何の根拠もないのに信じられるほど。
恋しい人を思い起こさせる、吸い込まれそうな青い瞳から目をそらすことができず、ルフレは混迷の中、やっとのことで小さく呼吸した。
大きな決断を迫られているという意識がのしかかり、身体は重く、息が苦しい。心臓が、主に何かを訴えるように肋骨の下で跳ね回っている。
――――おもいだして。
――――おもいださないで。
相反する言葉の不協和音。
クロムは、ルフレのことを本当に大切にしてくれている。優しい笑み。優しい声。いつもルフレの心をあたため、明るく照らしてくれる太陽のような人だ。
たとえルフレに対して話さなかったこと、偽っていたことがあったとしても、共に過ごした時間のあの幸せは消えないし、胸の奥で滾々と泉のように湧き出る、彼を恋しく想う心は枯れない。
ルフレが今、少しずつ快方に向かいつつあるとはいえ、未だひとりで歩くこともままならない己の身体に挫けないでいられるのは、その泉の水が希望となって体の隅々まで満たしてくれているからだ。
それほどまでに想い焦がれる人の側を離れ、果たして生きていけるものだろうか……。
(でも……以前の私が……クロムさんの側にいない方がいいと、そう決断しただけの事情があるのなら……今の私も……それを、知らないといけないんじゃないでしょうか……)
今、惜しみなく注がれているクロムの愛情は、ルフレが本来それを与えられるべき『誰か』から盗み取ってしまったものかもしれないのだから。
それに、クロムは自分が貴族だと説明した。どの程度力がある家柄なのか、真偽の程は定かでないが、先日突然来訪した際に纏っていた装束からして、相当高い地位にあることは間違いないだろう。
そんな家の当主らしいクロムに対して、天涯孤独で何の身分もないだろうルフレでは釣り合わない。
クロムは、多分とても大きなことを成せる人だから、彼の側にいたいならただ受け身で愛情を受け取って、愛し返すだけでは駄目だという気がする。
心からの愛情以外、何も彼に渡せるものがないルフレは相応しくないのだ。
激しい煩悶と葛藤が、心の中で嵐となって吹き荒ぶ。
クロムの元を離れるのは、きっと正しい道だ。正しく、あるべきものをあるべきところへ。そうあるべきと多くの人が望む形に戻す。愛されるべき人が愛されるように。
一方で、このままクロムの元に留まり続けるのは、醜い我欲を貫くこと。正しいことにも、誰かの幸福を奪っていることにも目を瞑って、耳を塞いで。浅ましい恋情をひたすらに抱え込んで手放さない、目を覆いたくなるほどの醜悪さ。
……どちらを選ぶべきか、なんて。
そんな、ことは……――――。
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