イーリスは隣国に比べれば冬でも温暖で、好天が続くと本で読んだのに、今日も快晴とは言い難い。侍女のユーラが言うには暦上そろそろ春だそうだが、屋内にいる限り美しい花が咲き乱れる暖かな季節の気配はまだ遠いように思われた。
それとも、そのように感じてしまうのは、まるで陽だまりの中でそっと抱き締められているような、あたたかく優しい笑みを持つ人の訪れがしばらく遠のいている所為かもしれない。
「今日で、一週間……ですね……」
寝台の上で半身を起こし、何をするでもなくぼんやりしていたルフレは、羽織っていた毛織のショールをずらし、薄れてきてしまった朱痕がある場所をそっと指先でなぞる。
じん、とその時感じた思考を麻痺させる甘い疼きや、肌の表皮を擽る彼の吐息、唇の熱さまで克明に思い起こすことが出来るほど鮮烈な、記憶。
切なげな吐息を零し、幾度目かの追想の海に沈む。
――――お前が、俺がこんなことをしても拒絶しないのは…………俺が、お前の恋人だと……そう、言ったからか…………?
あの日――前触れなく現れたクロムに強引に抱き竦められ、素肌へ執拗に口付けられた後。
閨事の前触れのような行為とそのかつてない乱暴さに困惑し、混乱し、さりとて強く払い除けることも何故か躊躇われて。されるがままになっていたルフレを寝台に縫い止め、彼は縋るような震える声でそう囁いた。
……まるで、彼とルフレが本当は恋人同士ではないかのように。
あまりに予想外のことに呆然とし、微かに唇を震えさせることしかできないルフレを置いて、クロムは来た時と同じくやはり唐突に身を翻し去ってしまった。答えを聞くのが怖い……あるいは答えは始めから知っていて、それを聞きたくないという素振りに思えた。
それから、クロムの来訪はぱったりと途絶えた。雪の日であろうと欠かさず毎日逢いに来てくれていたのに、彼が姿を見せなくなってもう一週間経つ。
以前は屋敷の主人であるクロムに何故か萎縮する様子を見せていたユーラも、ルフレが日々気落ちしていき、今では食欲がめっきり落ちてしまったので怒り心頭だ。
元々、着替え中だと断ったにもかかわらずユーラを部屋から締め出して、ほとんど下着しか身につけていなかったルフレに無体を働いたこと――そういう雰囲気ではなかったのだけれど上手く言葉にして説明できなかったし、首筋や胸元の朱痕というはっきりした証拠があったので――に憤慨していたところへ何の連絡もなく来訪が絶えた為、目の前にクロム本人が現れたら屋敷から箒で叩き出しそうな剣幕である。
いくら仕事が忙しいのだろうと控え目に擁護してみても、返って逆効果で怒りを強める結果にしかなっていない。
ルフレの為に親身になってくれて嬉しいと思う一方で、このままクロムが来なければという不安も大きく、気鬱が晴れなかった。
「クロムさん……どうして……」
どうして、彼はあんなことを言ったのだろう。
この七日間、何度も何度も繰り返した答えの出ない問いを再び呟いて、僅かな残滓さえ残っていない恋しい人の温もりを記憶の中から呼び起こすように自分を抱き締める。
クロムは何かを隠している、とは薄々感じていた。でも、彼とルフレが恋人同士であることに、疑問は一度だって持たなかったのだ。
始めの内こそ、いきなり自分の恋人と名乗る精悍な顔立ちの青年が現れて戸惑い、思い出せないことを申し訳なく感じはした。
けれど彼に優しく見つめられ、触れられる度に高鳴る鼓動、逢えない時間に彼を想って締め付けられるようになる胸の痛みは、ルフレがクロムに恋焦がれている証拠だ。寝付いているから気が弱くなって、人恋しいのとは絶対に違う。
何より、最後に会った時にされた強引な行為が嫌ではなかった。困惑したのは彼の様子が明らかに平素と違っていたからで、嫌悪感は少しもなくて。
……今だって、胸元や首筋にある印――自分が彼のものだと知らしめるような、薔薇の花弁を強く押し当てたような痕が薄れてしまうのを切なく思っているのに。
もし恋人でない異性にあのようなことをされたら、たとえ記憶がなくても、本能的なところでもう少し拒絶反応が起こるのではないだろうか。
でもそうすると彼のあの発言の意味も意図も分からず、道標を失って途方に暮れる船のように、思考は同じところをぐるぐると彷徨い続けていた。
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