この半月あまり、聖都の城下はかなりの活況を呈していた。邪竜討伐後の凱旋パレードには及ばないものの、冬のさなかであるにもかかわらず、マークが眼下に見下ろす通りを行く人々の顔は明るい。
冷え込む夜半前になっても煌々と明かりが灯り、通りに立ち並ぶ屋台は未だに賑わいを見せている。
イーリスは隣国ペレジアとの戦争、その後の西大陸への出兵や邪竜復活による被害から精力的に復興を進めている真っ最中で、聖王のお膝元である聖都の民も、無意味な浪費はしない。
そんな民の財布の紐をここまで緩める慶事。それは英雄として既に半ば生ける伝説となっている聖王クロムに、第二子が誕生したことだった。
……めでたい、と大半の人間は言うだろう。
先々代の御世に起きた第一次ペレジア戦役で、直系と言えるほど血の濃い王族は当時幼かった先代女王エメリナとその弟妹を除き、尽く泉下の人となってしまった。
その先代も既に亡く、王妹リズはフェリアに嫁した。残されたのは聖王クロムと、幼い世継ぎの姫のみという状況がここ数年続いていたところに、ようやく生まれた新たな王族。しかも男児である。
王子誕生の報せの威力は凄まじく、浮かれ気分になった一部の人間は花街にまで大挙して押し寄せた。
今、マークが人を待っているこの店も、いわゆる花街に分類される地区で商うその手の酒場の一種である。
一階は酒場で、露出の多い衣装で華やかに化粧をした女性たちが給仕をする。気に入った娘がいれば追加料金を払って二階でお楽しみ、というよくある形態の店だ。
料理の油や調味料、様々な香水とおしろいの甘ったるい匂いがまぜこぜになって染み付いた、そう高級ではなさそうな雰囲気だが、入れ代わり立ち代わり訪れる男性客で店内は大いに賑わっている。大半は四半刻も経たない内に給仕の娘と連れ立って二階へ消えていくのに、マークがかれこれ二時間近く同じ席に留まっているものだから、何やら悪目立ちしている気がしてならない。
(ガイアさん、なんで待ち合わせ場所が花街なんですか……?!)
しぶる密偵に何度もしつこく頼み込み、ようやく頷かせて協力を取り付けた手前、本人に直接文句はぶつけられないものの、もう少しどうにかならなかったのかと言いたい。
内心苦い気持ちを抱えながら、周囲のざわめきに耳を澄ます。こうした盛り場は客同士、あるいは従業員と客の雑談から市井の空気を窺い知るのにうってつけだ。
相変わらず、話題は生まれたばかりの王子に集中している。……同じ名を付けられた、この時代の小さな自分。
「――――それにしてもぉ、ちょっとがっかりしちゃったぁ〜あたし。あれだけ格好よくていくらでも女が寄ってきそうなのに今まで全然その手の話を聞かなかったから、王妃様一筋なんだな〜って好感度高かったのにぃ」
「あーら、あんたまたその話? いい加減現実見なさい、どれだけ誠実そうでも男なんてみんなそんなもんよ。お偉い様なら妾の一人や二人囲うでしょ」
「でもぉ〜」
「そうねえ、でも私は前からあのお二人、怪しいと思ってたわ。だからきっと王妃様とが政略結婚だったのよ! 引き裂かれた二人……それでもお互いへの愛を手放せずに……!」
「……ああもう、あんたはあんたで男に都合のいい考え方しすぎ! 正妻と別れもせずに君を愛してる、なんて男はクズ! 寝言は寝てから言えってのよっ」
「…………ええっとぉ、それ、実体験?」
「うるさいわねっ!」
聖王の第二子が正妻腹でないことは、大々的に公表されていないのに何故か城下まで広まっている。それに対する民の反応は、漏れ聞こえてきた給仕娘たちの会話からも分かるように様々だ。
だが喧しく語られる噂のどれひとつとして、真実を言い当てたものはない。
王子の母――聖王クロムに並ぶ華やかな名声を誇ったもうひとりの英雄たる女性が、今の境遇を歓迎していないことを、知っているのは極僅かな者だけだ。
ぐっ、と杯を握る手に力を込める。
(……母さん、僕は……)
これからマークがしようとしていることを、母のルフレが本当に望んでいるのかは分からない。
けれど城内は、聖王妃が完全に夫の寵を失ったと見る貴族たちの様々な思惑が入り乱れ、一見それと分からないながらも混迷の只中にある。
中には久々に生まれた聖痕のある王子を早々に自陣営へ取り込もうと画策する者、ペレジア縁の女が王の寵愛を受けることに過剰な嫌悪感を示し、排除しようとする者もいるらしい。そんな場所に母と生まれたばかりの小さな自分を置いておけない。それに……。
マークが胸中で渦巻く感情の嵐に耐えていると、建付けの悪い入り口の扉が耳障りな音を立てて開いた。
「あら、ガイアちゃん久しぶり〜。今日はどう、遊んでく?」
「悪ぃ、今日は仕事だ。また今度な。奥の部屋を空けてもらってるんだが、もう使えるか?」
「大丈夫よ〜。注文の受け渡しはお話の邪魔をしないように、いつもの通りでいい?」
「ああ、助かる。これ、少ないが後で分けて食ってくれ」
「きゃあっ、凱旋通りに新しくできたすっごい行列のお店のビスキュイじゃない! ガイアちゃん大好き〜」
待ち人来たり。店の者と随分親しいようだが、彼の妻には報告したほうがいい案件だろうか。そんなことを考えていたら、露出が多いお仕着せの給仕娘に抱き着かれているガイアと目があった。
マークがよほど胡乱な目つきをしていたのか、一瞬決まりが悪そうな表情をした後、目線と身振りで店の奥を示されたので立ち上がる。
一応の了承は引き出したとはいえ、詳細はまだ詰めていない。どこまで、どのような協力を仰げるか。それはマークの手腕にかかっている。
母のような軍師を目指すと常々宣言しているのだ、かつての仲間ひとり味方につけられないでどうする。
未だに賑わいが絶えない眼下の街を一度だけ見下ろすと、マークは強い決意を胸にガイアの後へ続いた。
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