小さく身を震わせる母の些細な表情や仕草、声色まで細心の注意を払って観察しながら、マークは目まぐるしく頭を回転させていた。
現在彼女が置かれている状況を知るために投げかけたいくつかの質問と、それに対する受け答えからは、記憶を失って押さえつけるものがなくなった今、半身への強い恋慕の情がありありと感じ取れた。
クロムのことを口にする母の様子を見れば、彼女がその男に心から恋い焦がれていると誰もが言うだろう。
けれど同時に、愛しい男への匂い立つような甘い情愛の奥に見え隠れする陰が確かにあった。一言で表現するなら後ろめたさ、とでも言うべきもの。
恋人の存在さえ忘れてしまっていることや、治療から衣食住まで、すべてをその恋人の厚意に頼り切っている現状への申し訳なさ、だけではない。
(母さんは、やっぱりクロム様と自分の関係が、単なる恋人同士じゃないって薄々気付いてる……。僕の話を聞いて純粋に驚くんじゃなくて、どこかで納得するところがあったって感じですよね……もし何か勘付くとしたら、クロム様が自分じゃない誰かと結婚してること、かな……)
けれどそれを、はっきり確かめられてはいないのだろう。今だって、以前の自分とクロムを知る人間が現れたなら確認する絶好の機会なのに、一度もその点について触れていない。
……本能的な忌避感、なのだろうか。偽りという名の檻に閉ざされた、しかしだからこそ想いを伝えることを自らに禁じていた男と、誰に憚ることなく恋人同士として過ごせる密やかな幸福が壊れてしまうことへの。
母に会えば折を見てすぐ返すはずだった、外套の隠しに収めた小さな青い耳飾りが、時間を追うごとにずしりと存在感を増している気がする。
真実を、打ち明けることは簡単だ。信じるか信じないかは別として、自分が恋人だというクロムの話は嘘だと……あなたはあの人をずっと愛しているし、あの人も確かにあなたを愛しているけれど、あの人はそれに気付くのが遅すぎた。
あの人には既に妻も娘もいて、なのにあなたを諦めようとせず、既に傷だらけだったあなたの心をさらに打ちのめすような、最低の真似をしたのだ、と。
そうすれば、劇薬に等しい真実を呼び水に、記憶は戻るかも知れない。マークのことを、ペレジアのサーリャの実家で母の帰りを待ち侘びている赤子のことを、思い出してくれるかもしれない。
けれど、偽りを暴き立てることは母にとって幸せなのか。
青い耳飾りはおそらくクロムに貰ったものだ。装飾品を身に着けない母が、こんなにくたびれても密かに持ち続けた理由はそれしか考えられない。
母はやはり……その幸福を願って離れようとした男の側に、いたいのではないだろうか。
どれだけ傷付けられようと、その想いによって一度は邪竜と共にこの世界から消えてしまおうとまで思い詰めるくらい、苦しんでいようと。
……愛する相手と、共にありたい。
人ならば誰しもが持つであろう、当たり前の願い。マーク自身とて、叶えてはいけない恋の焼け付くような苦しみの中、同じ願いを抱いたことがある。今では王の庭の、薔薇の茂みの下に埋めてしまったけれど。
(……母さん、僕は母さんに幸せになってほしいんです。誰よりも幸せに。でも母さんの幸せって何ですか? どんなに苦しいことがあったとしても、あの人のことをひとつも忘れたくないって言っていたのに、本当に忘れたままでいいんですか……?)
分からない。分からない。
不安を不必要に煽らぬため、嵐のように渦巻く心の中の葛藤を表に出さないようマークは苦心して表情を保っていたが、涙が滲みそうだった。
母は、本当は何を望んでいるのか。
それがどれだけ正しくなかろうと、世の人に後ろ指を指されることであろうと、何だって叶えてみせる。だから……。
「――――ねえ、師匠」
マークは静かに呼び掛け、母の顔を覗き込んだ。
様々な感情に揺れる淡い琥珀色の瞳から、少しでも彼女の本当の望みを汲み取ろうとするように。
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