Under the Rose第二部【サイト連載版】 - 19/22

 

 父が足早に部屋を出て行ってしまうと、それまで気詰まりな沈黙を共有していた騎士は<マーク>が追い掛けようとする前に、父の後を追って駈け出してしまった。目の前で続けざまに二度も扉を乱暴に閉じられ、精一杯気を張ってはいてもまだ幼いと言ってよい彼はそれだけでしばし立ち竦む。
 理由も聞かされず連れて来られたこの城は、両親と過ごしたソンシンの屋敷とは扉の造りも何もかも違うのだ。街の人々が身に着けている衣装も自分のそれとは様相が異なっていて、唯一見知った人間である父がいないだけで、自分でも驚くほど寄る辺ない思いに捕らわれてしまう。
 早く追わなくてはと思うのだが、<マーク>が呼び止めたにも関わらず少しも立ち止まる気配を見せなかった父の背中は、まるで<マーク>を拒絶しているようだった。それが数年前、自分と母とを置いて屋敷を出てしまった父を、どんなに戻って来て欲しいと願っても叶わなかった絶望と怒りを思い起こさせ、彼の足をその場に縫い止めたようにしてしまう。

(父さん、どうして……)

 大好きだった。自分と同じ青い瞳を細めて、優しく頭を撫でてくれるのをいつも心待ちにしていた。
 けれど父は<マーク>が同じくらい大好きな母を置いて行った。『責めては駄目ですよ』といつも言い聞かせられたけど、恨まずにはいられなかった。大好きだったからこそ、自分たちを置いて行ったことが、母を悲しませるのが許せなかった。
 母の死の間際にやっと戻って来たと思えば、有無を言わさずこんな別の大陸の国まで連れて来て。しかもしばらく父とは呼ぶなと言う。
 ついさっき頭を撫でてくれた手は相変わらず優しかったのに、広い背中は冷たくこちらを拒絶していた。

(分からない……分からないよ、とうさん……)

 子どもの手には大き過ぎる把手に手を掛けたまま、しばらく<マーク>は立ち尽くしている。そんな彼を我に返らせたのは、別室に続く扉がひどく重たげに開閉される音だった。
 驚いて振り返ると、父や自分と同じ青い髪をした壮年の男性がふらふらと奥の部屋から出て来る。そのあまりの顔色の悪さに、<マーク>は一瞬その人物が誰なのか分からなかった。
 だがすぐに、先刻まで父と話していたこの国の聖王その人だと知る。
 父がはるばるソンシンから海を超えてまで会いに来た、母がかつて軍師として仕えていたというイーリスの英雄。
 母は以前の主について、多くを語ってはくれなかった。その分母とも聖王とも縁深いというソンシンの女王、サイリによく話をせがんだものだ。何しろイーリス聖王国の聖王クロムと言えば、大陸が異なっても華々しい経歴は伝わって来ていたので。
 しかし今目の前にいる男性と、武勇の誉れ高い英雄像とが結び付かない。
 まるでソンシンの怖いお伽話で出てくる幽霊のような、色を失った面。
「あの……大丈夫、ですか?」
 恐る恐るではあったが<マーク>は男性に声を掛けた。『困っている人がいたら力になってあげられるような、そんな大人になってくださいね、<マーク>』と母に常々言い聞かせられながら育った彼には、ひどい顔色をした人間を放っておくということができなかったのだ。
 恐らく<マーク>のことが目に入っていなかったのだろう、急に声を掛けられて大袈裟なほど肩を震わせた聖王は、緩慢な動作で視線をこちらへと向ける。何度か瞬きを繰り返す内にやっと目の前にいる少年を認識できたのか、青い瞳に理解の色が宿った。
「あ、ああ……」
「具合でも悪いんですか。すごい顔色ですけど……」
 聖王と言えばこの国の最高権力者だ。そんな人物と向かい合っていて、緊張する筈なのに思ったより気後れせず話せている自分に、口には出さなかったが<マーク>は驚く。何故だろう、そうぼんやり考えながら未だ青い顔色をしている男性を見つめていると、ふと引っ掛かりを覚えたことがあった。

(なんだろう、父さんに……ちょっと似てる?)

 見上げた相貌が、険しい顔で歩き去ってしまった父にどこか似通っているような気がしたのだ。しかし父が、聖王家縁の人間だなどとは聞いたことがない。それとも、髪と瞳の色が同じだから似ているように思えるだけだろうか。
 不思議な気持ちでしばらくじっと見つめていると、聖王は躊躇いがちに口を開いた。
「すまん、何でも……ないんだ。ありがとう。<マーク>、と言ったか」
「はい。僕の名前はマークです。母さんと……えっと、母さんが付けてくれました」
「そうか、ルフレ、が……」
 母さんと父さんが、と口にしようとして慌てて言い直す。そんな<マーク>の受け答えの不審さには触れず、ただ母の名だけを呟いて聖王は目を伏せた。薄い唇から漏れたその囁きに、<マーク>こそが目を瞬く。よく分からないが、ただ自分に仕えていた軍師を呼ぶにしてはあまりにも情が込められ過ぎているように感じた為に。
 けれどこの時<マーク>はまだ幼く、その強過ぎる情の正体は判然としなかった。だから首を捻ることしかできなかったのだが、その間に聖王はずっと握り締めていた右の手のひらを広げてみせ、中にあったものをこちらへ示した。
「<マーク>……、これを、見たことはあるか?」
「あっ! それ、母さんの耳飾り!」
 敬語を使うのも忘れて思わず声を上げる。奥の部屋に通された時、父からしばらく貸して欲しいと頼まれたものだ。母がずっと大切に持っていた、青い石の付いた耳飾り。それを目の前の人物が手にしている理由が分からず、戸惑っていると彼は掠れた声でそっと呟きを漏らした。
「本当に……ルフレのもの、なのか」
「そうです。母さんいつもそれを綺麗な袋に入れて、大事に大事に持ってました」
「……何か、何か言っていなかったか?」
「何か、ですか?」
「誰からもらったとか、そういう話を」
 何故そんなことを気にするのだろう。それは疑問ではあったのだが、問われてぼんやりと思い出す光景があった。まだ父も一緒にいてくれた頃。もっと自分が小さくて、両親の後ばかりついて回っていた時の。
 母は綺麗なひとではあったけれど、いつもどことなく悲しげな顔をしていて。その時もやはり、耳飾りを見つめる彼女は遠い遠いところを見ているようだった。
「母さんは、これを大切なひとにもらったんだって言ってました。とても大切で……でももう自分は傍にはいられない人だから、その人には幸せになって欲しいんだ、って」
 母がぽつりぽつりと語ってくれたことを記憶の中から掘り返しながら、<マーク>は懸命に喋っていた。いくら母が以前仕えていた人だと言っても、今日あったばかりの人間にぺらぺらと話すことではない。何しろ傍にはいられない、ということはその『大切なひと』というのは父ではなくて。何やら複雑に思ったのを覚えている。それなのに、何故だかどうしても伝えなくてはならないという奇妙な義務感に突き動かされて必死に言い募る。
 父と――自分と同じ、深い深い青の髪と瞳を持つ聖なる国の王へ。
「その人は母さんにとってお日様みたいな眩しい人で。色々なものをくれた本当に大切な人だったそうなんです。ほんとは、ずっとずっと傍でその人のことを支えたかったけど、それができないから毎日お祈りしてるんだって、僕に……」
 視界が遮られ、言葉の途中で息苦しさに喘ぐ。精一杯自分を見上げて語りかけてくる少年を、呆然と見ているだけだった聖王が膝を落として唐突に<マーク>をきつくきつく抱き締めたのだ。予想外の事態に身動ぎしかけたが、それ以上に驚く出来事がありそのまま<マーク>は動けなくなった。
 まるで何かに縋るようにひしと初めて出会った筈の少年を抱く聖王。
 彼は、彼はどうして――――――。

(どうして、この人は泣いてるんだろう……)

 この人は世界を救った英雄で、偉い王様で、とても強い人なのに。
 何故、昔自分に仕えていただけの人間の子どもを抱き締めて涙を溢しているのだろう……。

 そしてこれが、<マーク>と聖王クロムの最初の出会いだった。
 この日のことを、後々<マーク>は何度も何度も思い返すことになる。
 そうとは知らず実の父に相見えた日。
 後々の彼の運命を決定付けた日のことを。

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