Under the Rose第二部【サイト連載版】 - 17/22

 

 荒れ狂う嵐のような感情の奔流を扉に叩きつける。続きの間で待っていた二人の視線を感じたが、そのまま構わず廊下へ出ようと大股で歩みを進めた。
「マークさん?!」
「っ、ま、待ってよ!!」
 慌てたように呼び止められるがマークは少しも速度を緩めない。それどころかますます早足になって、脇目もふらず廊下へと続く扉を開いた。人気のない廊下はしんと静まり返っていて、衛兵の姿すら見当たらない。人払いでもしていたのだろうか。
 だがちょうどいいと、記憶の中にある王城内の地図を頼りに、ひとまず一人になれる場所へ移動しようと歩き出した。
 ……真実を告げるつもりなどなかった。ああまで感情を爆発させる気などなかった。ただただ淡々と、小さな<マーク>のことだけ頼むつもりだったのに。けれどあの王は母が与えた偽りで目を曇らせたまま、<マーク>の父親が誰か少しも気付かなかったのだ。あまつさえ母が誰か他の男と結婚し産んだ子どもだと誤解までして。
 ヴァルムへ渡ってからもずっと、母はクロムを、クロムだけを想い続けていた。彼女自身は知らなかったけれど、国と玉座と引き比べて、自分を捨てた男の幸いを最後まで願っていた。愛した男と結ばれず、それでも幸せだったと微笑んだ。だというのにクロムが、母のそんな想いを取り違えたままだったのが我慢ならなかったのだ。
 本当はこれからここで、イーリスで暮らすのだと<マーク>に伝えなくてはならない。だがこんな状態では冷静に話ができるとは思えなかった。だから少し一人になって、暴れ回るこの感情をどうにか宥めてからにしたい。
「お待ちください、マークさん!」
 しかし、マークの感情を掻き乱す存在のひとりが追って来た。ち、と苛立たしげに舌打ちをして小走りになる。それでも主君に忠実な騎士は追って来て、長い長い廊下の角を曲がり、中庭を突っ切ろうとしたところでとうとう腕を掴まれ、強制的に引き止められた。だが一緒に来ているのかと思った少年の姿は見えず、マークは内心訝しがる。
 記憶している限り、この騎士は少々過剰なほど、自分の主君に忠誠を誓いよく仕えていた。それなのに、己の主を放り出してここまで追い掛けてきていいのだろうか。
「……っ、あなたの大事な大事な聖王陛下の傍にいなくていいんですか、フレデリクさん。僕、あの人を泣かせてしまったかもしれないのに」
 嘲るように告げれば、鳶色の瞳は何故か苦しげに揺れた。そのことに違和感はますます強くなる。おかしい。何がどうとは言えないが、以前の主従の関係とはどこか違っているように思えてならない。
「私は……私は、あなたにどうしてもお伝えしなくてはならないことがあるのです」
「僕に? あの人を擁護する言葉なら聞きませんよ。あの人が母さんにした仕打ちは最低だ。どう取り繕ったとしても、許されるものじゃない」
 片頬を歪めてマークは嗤う。まさか、自分の主の正当性を訴える為だけにここまで追い掛けて来たというのか。それならばまったくくだらない。どんな言い訳を並び立てられようと、クロムが母よりも国を、玉座を選んだことは動かし難い事実なのだ。
 心がすっと冷えていく。だがフレデリクは何度も何度も首を振り、違う、違うのだと訴えた。
「いったい何が違うんです? いい加減にしてくださいフレデリクさん。僕はあなたの綺麗ごとなんて聞きたくない」
「違いますマークさん! あなたは陛下のことばかり責めていらっしゃいますが、違うのです。あなたが本当に責めるべきはこの私です……!」
「なに、を……言って、」
 男の言葉の意味が分からず戸惑う。騎士は、かの王の最も忠実な家臣だ。幼い頃より側近く仕え、自警団でも副長として実務を取り仕切った。聖王家の人々が行くところは、たとえ小石のひとつでも存在を許さないほど、徹底的に安全を確保する彼の忠義心の厚さは語りぐさになっている。
 だが彼と、クロムの選択には何の関連もない。そもそもあの手紙の存在と、そこに綴ったマークからクロムへの懇願は、クロム本人と手紙を託した密偵しか知らない筈なのだ。
 しかし騎士が口にしたのは驚くべき告白だった。
「あの時……マークさん、あなたが陛下に、イーリスを選ぶのか、ルフレさんを選ぶのか選択を迫った時。陛下はあなたの求めに応じて、ルフレさんのところへ行こうとなさっていたのです」
「っ?! そんな……」
 驚愕するマークの足元へ、まるで懺悔をするように男は跪いた。そうして語り始める。今日の偉大な聖王を作り上げた選択の裏にある、もうひとつの真実を。

 ***

 
 陛下は、あの時ぎりぎりまで決断を迷っていらっしゃるようでした。
 ええ、勿論ルフレさんのところへ行かれるかどうかを、です。
 本当に指定された期日に間に合うかどうか、という瀬戸際まで悩まれ――最後にはこのイーリスを捨てられることを選んだ。

 元から、陛下とルフレさん、お二人の関係が十年前のあの冬の頃からぎくしゃくとしだしたのは私も知っていました。陛下はルフレさんが戻られてから依存と言ってもよいほど執着されていましたし、何かがあったのだとは思ったのです。
 今日、あなたが連れていらした少年を見て、推測していたことが事実だと悟りました。陛下は……ええ、ご存じなかったでしょうね。もしご存知でしたら、もっと早くに決断されていたことでしょう。
 しかし現実はそうではなかった。そうであれば私も気付けなかったかもしれません。……けれど、気付いてしまった。気付いてしまったのです。気付いてしまった以上、私は陛下を失う訳にはいかなかった。

 ……だから、あの晩、陛下がすべてを捨ててルフレさんのところへ行こうとしていたその時、私は陛下の部屋を訪ね、いつものように香草茶をお出ししました。そしてその中に、ある薬を混ぜました。
 ああ、毒ではありません。身体が痺れるもの等色々とありますが、陛下は幼少時から毒に耐性をつける訓練をされていましたから、目的を達しようとすると命の危険があるほどの量が必要でしたので。
 代わりに、私が使ったのはごくごくありふれた睡眠薬です。味も匂いもほとんどありません。ですが効力は強く、ほんの一匙で夢すら見ずに眠れるのです。それを大量に香草茶に混ぜて――あの方は何の疑いも持たずそれを飲まれました。
 すぐに効果は現れませんでしたが、最終的には間に合った。私は、イーリスは、聖王を失わずに済んだのです。

 陛下は私をお責めになりました。当然でしょう。愛する女性を喪ったも同然なのですから。けれど私は申し上げました。聖王家に仕える家臣として、またイーリスの騎士として正しいことをしました、と。そして、どうか聖王として国を、民をお導きくださいと。
 しばらくあの方は何もおっしゃいませんでした。ちょうど窓辺に立っていらして、朝陽が燦然と陛下の背後から差し込んでいました。やがて陛下は私の捧げ持ったファルシオンを手に取り……私の願いに、是とお答えになった。
 それはひどくうつくしい光景でした。ああ、この方こそイーリス聖王国の聖王たるに相応しいと、私の選択は間違っていなかったと、そう、思いました。……けれど。

 けれど、私はやはり愚かでした。
 陛下はそれ以降、ずっと苦しんでいらしたのが嘘のように政務に意欲的になられ、また遠ざけていた妃殿下とも歩み寄られるようになりました。ルフレさんに占められていた陛下の心は国に、民に戻った。
 ですがそれは以前の、私がずっと幼い頃からお側で見守らせて頂いたあの方ではない。自分よりも幼いリズ様の手前、姉君に甘えたい寂しさをおひとりでずっと堪えていらしたあの方、私に剣の稽古をつけてくれときらきらした目でせがまれたあの方は消えてしまった。
 愛する女性を三度喪わせ、王としてではない、普通の青年としてのあの方の心を私は殺してしまったのです。
 それに気付いた時は既に手遅れでした。

 ……? 何故、あの方のことを陛下と呼ぶのか、ですか。
 マークさん、母君譲りに敏いあなたならお分かりでしょう。私にはもうあの方の名を呼ぶ資格がないのです。何故ならその名を持つ青年を、私がずっと……ああ、お許し下さい、ずっと弟のようにも慈しんできた青年を私は消してしまったのですから。
 王たれと、皆を導く光であれと望むことで。

 ***

「――――――ですから、あなたが陛下を恨まれるのは筋違いです。陛下はもうルフレさんを、あなたの母君を選んでいらした。何を捨てても愛する女性と共に行く道を選んでいた。それを阻んだのは私です。責めを負うべきは、王としてのあの方を失いたくないあまり、ただの青年であるあの方を殺してしまった愚かなこの騎士。あなたが恨まれるべきは、この私なのです……」
 長い、長い告白だった。
 語り終えると騎士は力なく項垂れ、それきり口を噤んだ。午後の柔らかな日差しが跪く男と、呆然と立ち尽くすマークを照らしている。
「……そ、だ」
 穏やかに吹く風が辺りを吹き抜け、自分の髪や外套を揺らしていくのをどこか遠くに感じていたマークは何ごとか呟いたが、からからに乾いた口中を通って発せられた音は掠れて意味の有るものにならなかった。
 一拍遅れてそれに気付き、無理矢理唾を飲み込んで喉を鳴らす。それでようやく舌がまともに動くようになった。ゆるゆると頭を振り、足元のフレデリクを凝視して「嘘だ……」と震える声で呟きを漏らす。
「いいえ、本当です。私が引き留めようとすると、陛下は私を斬ってでもルフレさんのところへ行こうとされました。薬が効き始めてからも、眠るまい、眠るまいとして……」
「っ、嘘だ、あなたは嘘を言っている! やめて下さいっ。そこまであなたの主が大切ですか?! こんな……こんなよくできたつくり話までして!!」
「マークさん、嘘だとお思いなら、ガイアさんにでも元自警団の皆さんにもお聞きになって下さい。当時、城に勤めていた者なら誰でも、陛下がある時期倒れて、丸二日も意識がなかったことを証言してくれるでしょう」
 今やマークとフレデリクの立場は逆転していた。マークは自分こそがすべての真実を知っていると、そしてそれ故に母を捨てた王を許すまいとしていた。この期に及んで己の主君を擁護する言葉を並べ立てる騎士を、軽蔑すらした。
 だが薔薇の茂みの暗がりの下に秘された真実以外に、もうひとつ、マークですら知らなかった別の真実が存在していたのだ。
「陛下は、薬で完全に眠られてしまうまで、ずっとルフレさんのお名前を呼んでいらっしゃいました。ずっと、最後まで」
「そんな……そんな……っ!」
 癖のある自分の髪にぐしゃりと手を差し入れる。頭を抱える。かぶりを振る。
 信じられなかった。信じたく、なかった。
 母と自分を、<マーク>を捨てたクロムを恨むことで、二人を出逢わせ、どうしようもなく惹かれ合わせながら引き裂いた神を呪うことで、マークはこの十年あまりを生き続けてきた。
 そうでなければ哀しみと絶望で心は折れてしまっていただろう。ソンシンでの暮らしは穏やかで優しかったが、クロムを密かに想い続ける母を、傍らでずっと見ているのは辛かった。
 大陸を隔てても英雄クロムの名は届き、かの王を讃える言葉を聞く度に大声で喚き叫び出したい衝動に駆られたものだ。どうして、何故、母を選んでくれなかったのかと。
 それなのに、この騎士はクロムが本当は母を選んでいたのだと言う。祖国も、玉座も、何もかも捨ててくれていたのだと。
 そうであるならば十年来抱えてきた自分のこの思いは。クロムを慕いたい気持ちと、他の女性を妻として迎えながら母を愛し子まで孕ませ、しかし最後には王の座を選んだと恨みに思う気持ちとの間でもみくちゃにされ、苦しみ続けたこの感情は、どこに向かえばいいのだろう。
「……おそらく、あなたはイーリスを出て行くおつもりだったのでしょう。あの少年だけを陛下へ託して。ですがどうか、どうかこの城に留まって下さい。陛下の元へ。陛下を、昔のあの方に戻せるのはもう……マークさん、あなた方だけです……」
 知らず知らずの内にマークは涙を流していた。視界が霞む。頬が熱い。ぱたぱたと落ちる雫は止めどなく溢れ続け、生い茂る足元の草木を濡らした。

(かあさん、かあ……さ、ん……)

 マークは気が付いていなかったが、この中庭にも薔薇は慎ましく咲いている。そのほとんどは艶やかに花開いていたが、その中に蕾のままのものがひとつだけあった。しかし今、すべての真実が曝け出され、あまりの残酷さにマークが慟哭し顔を覆う中、ゆっくりと蕾は綻んでいく。

 うつくしくうつくしく。王と軍師の赦されぬ恋の果てに生まれた王子の涙を呑み込んで。

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