Under the Rose第二部【サイト連載版】 - 2/22

 聖王、ルフレとこの国で生まれ育ったイーリス人ならば三歳の幼児でも知っている英雄二人を持ち出したマークに、頭の固そうな、ワットと呼ばれた方の男は訳が分からぬといった風でこちらを睨めつけたまま。対するもう一人、やや軟派な、優男風の顔立ちをした男も困惑していた。おそらくマーク達がイーリスを離れた後に城勤めになったのだろう。戻って来たという英雄の片割れの息子という肩書きを、城に入り込みたいが為の出まかせではないかと訝しむ気持ちの方が大きいようだった。
 だがこのまま追い返して、もし本当にかの英雄の血族が自分達の王を訪ねてきたのだとしたら。そのふたつの可能性の間で揺れ動く様が手に取るように分かる。通りすがる人々も手を握ったままの小さな<マーク>も、奇異な眼差しを向けてきていた。あまり目立ち過ぎるのは困るのだ。本当に仕方ないですね、と再度ひとりごちたマークはおそらくこの場で最も彼らに影響力があるであろう男の名を口にする。
「……早く中に入れてくれませんか? 怪しいと思うんでしたら、フレデリクさんに訊いてもらってもいいですよ」
「なっ、だ、団長の知り合い……?!」
 その名は、確実に門番の二人の心の天秤を、マークにとってよい方へ傾けたらしい。顔を寄せ合いひそひそと何事か相談しあっていた彼等だったが、やがて厳つい面差しの男が「少し待っていろ」と言い捨てて走って行く。残された男は、先刻まであからさまにやる気がでないという内なる声を態度にも滲ませていたのに、心なしか姿勢が良くなった。相変わらず笑顔で無茶な訓練を言いつけたりしているのだろうか。

 やがて最後の記憶に残っているより、幾分齢を重ねた壮年の騎士団長は血相を変えて城門まで駆けて来た。常に穏やかで理知的だった彼にしてはひどく珍しい。だが逆に当然かもしれない、とマークは思い直す。彼が仕える王の心を乱し続けた女、何の許しもなくこの国を去って、以後、長年何の音沙汰もなかった女の息子と名乗る存在が現れたとなっては。
 
(……この人は、母さんとあの人の間にあったことを知っているんだろうか)

「お久しぶりです、フレデリクさん。熊肉は相変わらず苦手なんですか?」
「マークさん……」
 面に浮かべるのはにこやかな笑顔だが、声音に滲む剣呑な色は隠しきれなかった。それに気圧されたように彼は鳶色の瞳を大きく見開いたまま二の句を継げないでいる。
 かの王に近しい存在の登場は、自ら求めた結果であるのにマークの心を想像以上に波立たせた。握り締めた、子ども特有の高い体温を伝えてくる小さな手のひらと、母の言葉だけが辛うじて理性を繋ぎ止めてくれている。それがなければもうとっくに、城の奥深くまで押し入ってこの壮麗な城の主へ何もかもぶちまけて詰り、罵っていたに違いない。
 けれど母が最後にマークへ願ったのはたったひとつだ。
 何も知らない小さな<マーク>、今はただ悲しみに心が麻痺して先のことなど何も考えていないこの子どもの将来を平らかにしてやること。
 しかしイーリスへ行くようにと言われたのは予想外だった。あのまま留まって女王のもと、ソンシンに骨を埋めるか、フェリアの新王として即位したロンクーを頼るか――どちらにせよ聖王国へは近寄らないよう頼まれるとばかり思っていた。だが母はイーリスを、聖都の王城を訪うよう告げ。そして母のその言葉故にマークはここへ来た。
 この国、母が初めて彼女の王と出逢い、仲間達と絆を育んだイーリス聖王国に。
「突然で申し訳ないんですが、聖王陛下に会わせて欲しいんです。……取り次いで、頂けますよね」
 フレデリクは気付いただろうか。この世界に来たばかりの頃はむしろ母によく似ていると言われたが、幼さも抜け落ち、すっかり青年のものになったマークの相貌。そこに彼が仕える主君の面影が随所に見られることを。幼き日からの成長をつぶさに見守り続けた主との相似を。
 しかし激しい動揺はすぐに覆い隠されてしまい、平静さを取り戻した表情からは何も窺い知ることはできなかった。代わりにフレデリクはマークの求めに一瞬だけ目を伏せると、門番の二人にこのことは口外しないようにときつく言い含め「……どうぞ、こちらへ」と諦念を含んだ声で誘うのだった。

 ***

 広く使われる通りではなく、周囲を憚るように人気のない裏道を通ってマーク達は城内の一室まで案内された。そこもやはり城内では端の方に当たり、少なくともフレデリクにとってマークは招かれざる来訪者であるのだろうと思わされる。
 言葉少なにここまで導いて来た彼は、物問いたげな視線をマークが連れた少年に向けたが、結局しばらく室内で待つようにとだけ告げて静かに退出した。軍靴の足音が遠ざかる。それが完全に聞こえなくなったのを確かめてから、ようやくずっと握っていた小さな手を解放した。
 だがソンシンとは建築の様式も室内の装飾や調度品も、何もかもが異なる様子や<マーク>からすれば見慣れぬ衣装を身に纏う人々は、どんなに気を張っていてもまだ幼い少年にとっては萎縮させられるばかりだったのだろう。たとえ恨みの尽きぬ相手であっても、異国の空気の中ではいないよりはましなようで、傍らから離れようとしない。苦笑して、ぽんぽんと安心させるように頭の上へ手を乗せた。
「……大丈夫ですよ。聖王様はそんなに怖い方じゃありませんから」
「そうなんだ……。どんな人なの? 母さん、あんまり王様のことは話してくれなかったし……英雄って言われるくらいだからやっぱりすごく強い人?」
「そう、ですね……」
 仄かな憧れを覗かせて尋ねる<マーク>に、すぐ素直に頷くことはできなかった。
 聖王クロムは確かに英雄だ。隣国の侵攻を退け暗愚王を討ち取り、ヴァルム大陸の戦乱も平定して、さらには邪竜の脅威からも世界を救った。輝かしい偉業の数々。必ずや、イーリス史上でも初代聖王に並ぶ偉大なる王として歴史に刻まれることだろう。
 だがかの王は、数多の人々を救っても、たったひとりマークの母だけは救わなかった。
「それより、マーク。ルフレの耳飾りは持っていますか」
「え? うん、もちろん持ってる……けど」
「聖王様と会う間だけでいいので、少し貸してもらえませんか?」
「なんで……」
「後でちゃんと返しますから」
 訝しげな顔をする少年を説き伏せ渡させた古びた耳飾りを、マークは手のひらの中で転がす。青い石が付いたそれは母の耳を一度も飾ることなく、けれどずっと捨てられずにいたものだ。何も言うことはなかったが、おそらく「あの人」から贈られたものなのだろうと推測していた。
 母がイーリスから持ち出した荷物は驚くほど少なかった。周囲に悟られないようにする為、あまり大仰な旅支度はできなかったのだ。可能な限り持ち物は厳選しなくてはならなかった。それでも、露店で売られているような質素なそれを、造りも上質とは言えないのに荷物に忍ばせて持ち出し、後生大事に守り袋に入れてまで大切にしていた母。別の女性と子まで成しておきながら、半身という言葉で母を縛り、苦しめ続けた男への恨み言を口にするマークへ、幸せだったと微笑んだ母。
 何故、耳飾りを貸して欲しいなどと頼んだのか自分でも分からない。けれど青い石の鈍い輝きは心をざわつかせる。これから対面することになる人物と同じ色彩だからなのか。
 青の王。
 母が愛した男。母がその幸いを祈り続けた男。
 この身に流れる血で逃れようもなく繋がった――――――。
「……父さん」
 つ、と袖を引かれる感触ではっとマークは我に返る。耳に届いた声からは険悪なものは感じられず、ただ心配そうな青い瞳がこちらを案じるように見上げていた。
「大丈夫なの? 顔色悪いよ」
 その幼い面差しに、<マーク>の赤ん坊だった頃のあどけない表情がふいに重なる。子どもの成長は本当に早い。母と共にイーリスを出てからはあっという間だったなと思う。
 泣いてばかりいた<マーク>がよちよち歩きを始め、舌っ足らずな声でとうさん、とマークを呼び、剣を教えて欲しいとせがむようになり。かつてのマークと同じように「しょーらいはかあさんとおなじりっぱなぐんしになります!」と目をきらきらさせて語ってくれたのは何歳の時だっただろう。
「心配ないですよ。……ありがとう、<マーク>」
 母は多くのものをこのイーリスに捨ててきた。
 そしてマークも、赦されざる秘密を薔薇の茂みの下、暗がりに埋めた。それは心の一部をもぎ取られるような苦しみで。母を守ることだけが己の存在する意味だと言い聞かせても、時折ふとしたきっかけで呼び覚まされる美しいひとの微笑みはどうしようもなくマークを翻弄した。
 そんな中、何も知らない無邪気な笑顔で慕ってくれる<マーク>の存在は確かに救いだったのだ。母にとっても、マークにとっても。
「本当に……ありがとう」
 そして自分と同じ藍色の髪を撫ぜながら、マークはこの少年、己と同じ存在でありながら、決して完全には重ならない<マーク>が生まれてから、母と共に過ごした日々の記憶をいつしか思い返し始めていた……。

 

送信中です

×

※コメントは最大1000文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!