結局、恥ずかしさでどうにかなってしまうのではないかと思った頃、皿の半分以上をお腹に収めたことで一応満足してくれたのか、クロムはやっと匙を差し出すのをやめてくれた。
ようやくうるさいくらいだった心臓をなだめられるとほっとしたのも束の間、薬湯まで飲ませてやろうかと言われたので、今度ばかりは全力で拒否する。これ以上は耐えられそうになかった。
彼は少し残念そうな様子を見せた後、「なら俺も食事にするか」と、台車の上に置いたままになっていた自分用の白パンやスープを口に運び始めた。
運ばれてきたばかりの時は、おいしそうにもくもくと立っていた湯気はほとんど消えかけていて、何だか申し訳ないがクロムは気にも留めていないようだった。育ちの良さをうかがわせる綺麗な仕草で咀嚼していく。
手渡された、凄まじく苦い薬湯を苦心して少しずつ飲み込む傍ら、そんな端整な彼の横顔についつい見入ってしまって、それに気付いたルフレは戸惑いながらも、これまでクロムに教えられた自分と彼に関することを思い出す。
まず、クロムはこの国、イーリス聖王国の貴族で、城に勤める武官らしいこと。あまりはっきりしたことは言わなかったが、いつも腰に剣を帯びているし、身のこなしに隙がないのでかなりの実力者ではあるようだ。
さらに屋敷を複数持っているので、貴族の中でもそれなりに有力な家柄であるようだ。身につけている衣類等も、華美ではないが上質のものである。
けれどそうしたことを判断できるルフレ自身は、貴族ではないらしい。それでどうして高位の貴族であるらしい彼と知り合い、恋人にまでなれたのか不思議に思うところだが、聞けば街道で行き倒れていたルフレをクロムと彼の妹が助けてくれたのがきっかけだとか。
両親が既に他界しており、兄弟姉妹もいない、つまり天涯孤独で、特に目的地もなく旅を続けているというルフレの身の上を聞き、そのまま別れるのに気が咎めたクロムが仕事と住む場所をわざわざ紹介してくれたという。
そしてそれだけでは終わらず、ルフレの様子を見にしょっちゅう顔を出してくれて、そうこうしている内にいつの間にか――――という経緯だった、らしい。
見ず知らずの女にそこまで心を砕く彼のお人好しぶりは、貴族としてはちょっとどうなのだろう。ただまあ、家族を亡くして以来ずっとひとりだった以前のルフレが、こんな格好いい人に窮地を救われて、しかもその後も何くれとなく気にかけてくれたら恋に落ちてしまうのも無理はないかもしれない。
気になるのは、クロムの屋敷で目覚めて既に数日、彼以外の人間の訪れがないことだった。
話を聞いている限り、イーリスに三年以上は住んでいるはずだ。それなら仕事の関係で付き合いのある人や、友人だっていてもおかしくない。
それなのに、誰も訪ねて来ないのだ。クロムが言うには、ルフレの勤め先には記憶がないことは伏せて、大怪我をしたのでしばらく療養する、と伝えてあるそうなので病状が落ち着くまで見舞いを遠慮しているのかもしれない。
それにルフレの友人関係をクロムがすべて知っているとは限らないから、かつての友人がいたとしても急に連絡が取れなくなって困っているだけかもしれない。
そう思えば納得できるような、まだ疑問が残るような。考えてもよく分からない。
(でも、クロムさんが私に嘘を付いても、特に利点がある訳ではないですし……)
第一、クロムはルフレにとてもよくしてくれる。医師の往診や治療から、日々の食事、日常の細々としたことまで、かかる費用はすべて彼が負担してくれているのだ。いくら恋人だとしても甘え過ぎである。
いつか返済すると言うルフレの申し出も、『早くよくなってくれればそれで充分だ』と、笑ってとり合ってくれない。
「ん? どうした?」
「い、いえっ……何でもありません」
「何でもないと言われても、そんなに熱い視線を向けられたらな……。ああ、もしかして、まだ足りないのか?」
今度は彼の使っていた匙を口元に運ばれそうになったので――これを受け入れたら間接なんとやらだ――大慌てで「大丈夫ですっ!」と否定する。
ルフレの慌て様がよほど可笑しかったのか、声を上げて笑うクロムは、やはり嘘を付いているようには見えない。
けれど、小さな、小さな違和感が棘となって、意識が戻った時からずっとルフレの胸を刺し続けているから。彼の優しさに、芯までくたくたと寄りかかれないでいるのだった。
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