Under the Rose ifルート「君に捧ぐ永久の誓い」【サイト連載版】 - 2/11

たぶん、友情のために


 

 ガイアが上手く言いくるめてくれたのか、それから夜までクロムの元を訪れる人間はほとんどいなかった。フレデリクや他に数人が扉越しに声を掛けてきたが、しばらく一人にして欲しいと告げると皆大人しく引き下がった。それでも幼い頃から側近く仕え続けてくれている騎士は納得しないだろうと思ったが、不思議なことにその後様子を伺いにも来なかった。
 首を捻ったがこれで抜け出しやすくなったのは幸いだろう。腫れ上がった頬を彼に見られては、大騒ぎをして寝台に括りつけられてしまったに違いない。
 身支度はあっという間に終わった。持ち出すものと言ってもそうそうないのだ。自警団で駆けずり回っていた頃はよく野宿もしたし、その際は必要な食料等はほとんど現地調達だった。だから荷袋に詰めたのは本当に必要最低限なものばかり。マークからの手紙と、それと共に託された片方だけの耳飾りは勿論最優先で懐中に収めた。
 聖痕のある右腕を露出して歩いていてはイーリスのクロムだと喧伝して回っているも同然だから、両袖のある上衣に替えて寒さに備えて外套も用意する。
 やがて陽もすっかり落ち、欠けた月が淡く頼りなげな光を白亜の城に投げかけるようになってようやく、黙したまま神剣を凝視し続けていたクロムは立ち上がる。
王となってからの、決して少なくはない時間をこの部屋で過ごした。力よりも言葉を尽くすべきだと訴え続け、平和を愛した姉、エメリナも、無為な戦で民を徒に死地へ追いやった父王もかつてはこの部屋の住人であった。それだけでなく、遠い遠い史書の中のみでしか窺い知ることのできない多くの歴代聖王たちも。
 次にこの部屋の主となるのはまだ幼い<ルキナ>だろうか。クロムの腰の高さよりも低い背丈しかないあの娘には、まだこの執務机は大き過ぎるだろう。それでも行くのか、ともうひとりの自分が囁いた気がした。
 深く長く息を吸い、同じだけの時間を掛けてまた吐く。温暖とはいえ聖都もこの時期は寒く、吐いた息は白く煙のように室内を漂った。

(ルキナ……お前は俺を恨んでくれていい。いいや、むしろ忘れてしまった方がお前の為か)

 その白い煙が完全に消え去るまでクロムはじっとその場に佇み続け。やがて懐中の青い耳飾りにもう一度触れた後、頭を振って聖王の執務室を出た。王としてではなく、ただのクロムというひとりの青年となって。

 ***

 落ち合う場所は特に決めていなかったのだが、おそらくここだろうと目星を付けている場所があった。未来から来たルキナが王城に入り込む際に使った抜け穴。クロムが訓練の際に壊してしまったその場所はもう塞いでしまったが、別のところにもうひとつ、実は彼が開けてしまった穴があった。木の枝を伝って、曲芸のような入り方をしなければ通れない位置にできたものなので今まで放置していたのだが、あそこからなら誰にも見咎められず出て行けるだろう。
 そして予想通り、闇に溶け込むような漆黒の装束を纏ったガイアはそこにいた。
「よう、クロム。男っぷりが増してるな」
「いったい誰の所為だと思っている」
 頬の腫れを指差してけらけらと笑って見せた密偵に、クロムは苦虫を噛み潰したような渋面を向けた。そんな彼へ、ガイアは幾つかの荷物を押し付けた。ひとつは剣帯と鋼でできた剣。ファルシオンを置いてきたので護身用の短剣しか持っていなかった為、ありがたく剣帯に吊るす。もうひとつは携帯食料。自警団の倉庫からくすねてきたのだろうか。やはり用意していなかったし、邪魔にはなるまいと荷袋に収めた。そして、もうひとつは。
「これは地図、か……?」
「ああ。本当は俺が自分で案内してもいいんだが……こっちに残ってやることがあるんでな。その、印のあるところがマークとルフレが待っている港街だ。そうだな、聖都からだと馬で飛ばして五日、ってところか。急げばぎりぎり新月には間に合うだろ」
「そうか。なら、馬をどうにかして手に入れる必要があるな。王宮の厩舎は見咎められそうで危ないしな……聖都を出てから購入するしかないか」
「その必要はないぜ」
「は?」
 思わず間抜けな声を上げたところで、あそこ、と聖都の外れの方を指さすガイア。
「あの外れの方、人気もないし警備も緩いんだ。ちょっとした木立みたいなところがあってな、そこに馬を繋いである。値切ったからまあ、聖王様に献上されるような俊馬みたいな走りはしないかもしれんが、途中までは持つだろう。ペレジアに入ったらそいつを売って、もっと早い馬に変えればいい」
 淀みなくそこまで話されて、クロムは押し黙った。日中、頬にきつい一撃をお見舞いされた時のガイアの様子からして、彼がクロムの態度に内心業を煮やしていたのは間違いない。かつて仄かな想いを寄せていた女性を傷付け、苦しめ続けた男を良くは思っていないだろうと考えていたのに。
「なあ、ガイア。何故……ここまでしてくれるんだ」
「おいおい、ここまで協力させておいてそれかよ。あー……言ったことなかったか? 俺はお前のことを結構気に入ってるし、友達だと思ってるって。友達の為に何かしてやりたいと思うのは当たり前だろう?」
「そう、か……」
 友達。その言葉に目頭がじわりと熱くなり、咄嗟に口元を覆って唇を噛み締めることで溢れ出そうになる何かを堪えた。
 友人というのはクロムにはずっと縁がなかったものだ。何しろ聖王家の直系、未だに人々の語りぐさになっている初代聖王の末裔である。目立つ場所に聖痕もはっきりと浮かんでいる。幼い頃は年が近いからと選ばれた遊び相手こそいたが、皆その聖なる印に恐縮してしまってどこかよそよそしかった。
 フレデリクは兄のように思っていたけれど決して臣下としての分を超えることはせず。成長してから夜会や公式行事で貴族の子息と話す機会はあったけれども、腹を割って話せる相手というのはいなかった。
 やはり皆にとってクロムはあくまで王族だったのだ。女王エメリナの弟、即位してからは聖王。自警団の皆も、信頼の置ける仲間だが友人かというとやはり少し違う距離感だ。
だがこの男はクロムを友だと言う。そして、だからこそこうして王であることを捨て、国を捨て、家族を、民を捨てようというあまりにも愚かなことをしようとしているクロムを助けてくれるのだと。
「そうか……っ」
 クロムの声が震えたことに気付いたのか、橙色の髪を夜風に靡かせた密偵は礼儀正しく視線を逸らしてくれた。

 しばらく二人は視線を合わさず黙っていた。呼吸に合わせ、冷えた外気に触れた吐息が白むばかりだったが口元を覆う手を外したクロムは、ようやっと落ち着かせた声でこう言った。
「友達というのは……あんなに力いっぱい相手を殴らないものなんじゃないのか?」
「男同士の友情ってのは、時に痛いものなのさ」
「馬鹿を言え」
 軽く突き出した拳を片手で受け止めガイアは笑う。クロムもつられて口の端を持ち上げ微かに笑みを浮かべた。
 思えば不思議な縁だ。ガイアは、元はエメリナの暗殺を目論んだギムレー教の教主、ファウダーの手の者の依頼で、王宮に忍び込む手引きをしたのだ。だが彼が依頼内容として聞かされていたのは宝物庫にある炎の紋章を奪うということまでで、女王暗殺は契約違反だとして自警団側についたのだ。
 盗賊というと盗みだけでなく殺しも厭わない完全に堕ちた人間もいるが、ガイアは珍しく筋を通す男だった。過去に色々とあったらしいとは風の噂で聞いたけれども、今の彼が自分の良心に従って行動しようとしているのなら問題ない。
 そして実際、彼は気持ちのよい男だったし、自警団にもイーリス・フェリアの連合軍にも多大な貢献をしてくれた。無類の甘いもの好きという、変わったところはあったが。
 もっと色々な話をしてみたかった。そう思ったクロムの肩を、軽くガイアは叩く。
「さあ、あまりぐずぐずしてると人が来るぞ。行った行った」
「あ、ああ」
 最後までこの男は飄々としていた。もしかしたら湿っぽい話が嫌なのかもしれない。意外に涙もろかったりするのだろうか。
 そうこうしている内に抜け穴に繋がる木の枝まで追いやられてしまう。自分が乗っても折れないよう強度を確かめながら、一度だけクロムはガイアを振り返った。
「……すまない、ガイア」
「お前から最後にもらうなら礼の方がいいな」
「そ、そうだな。その……ありがとう」
「おう。絶対、離すなよ」
 何を、とは問い返さずとも彼の視線の強さだけではっきりと分かった。それに確かに頷き返して――――クロムはそのままイーリス城を後にした。この世に生を受けてから二十年以上、彼の帰るべき場所であったうつくしい城を。愛すべき思い出の眠る地を。

 そしてこの日、神竜ナーガの加護を受けしイーリス聖王国は、偉大なる王を失った。

 ***

「……行ったのね」
 長い間青髪の青年が消え去った城壁を見つめていたガイアは、背後から聞こえた女の声に苦笑しながら振り返った。
「よかったのか、サーリャ。あいつに一発平手打ちを食らわせてやらなくて」
「あの男を前にしたら一発だけでは済まないからいいわ……ソールに泣かれるもの。それに、あなたがもうしてくれたでしょう」
 闇の中から滑るように現れたのは、城下の女が着るような素朴な衣装に黒い外套を羽織ったサーリャの姿だった。どうやら話は途中からしっかりと聞かれていたらしい。常日頃あまり表情の変わらない彼女だから一見普段と同じように見えるが、非常に複雑な心境でいるのがガイアには分かった。
 やはり、まだルフレのところへクロムを行かせてよいのか不安なのだろう。それも仕方ないと思う。ガイアも聖王の影の臣として禄を食む手前、ルフレの捜索には携わっていたし、見つかり次第連れ帰れという命も受けていた。もっとも、たとえ見つかったとしてもすぐには聖都へ送らず様子を見ようと思っていたのだが。
 何しろ、ルフレがマークと共に消えてからのクロムの様子といったらひどかった。命令通り連れ帰っていたとしたら、どんな事態になっていたか分からない。強すぎる情愛は歪み、おそらく小鳥の羽根をもいで鳥籠に閉じ込めるがごとく、愛しい女を今度こそ己の下から離すまいとしただろう。
クロムのルフレへの恋着はそれだけ強かった。けれど軍師が王の為に仮面の下に隠し続けた真実を知った彼は、何を捨ててもいいとルフレを選んだのだ。彼は未だ知らないが、自分の子であるマークの懇願で。
 だからあとはもうきっと大丈夫だ。一抹の不安要素があるとすれば、クロムを強く想い続けてきた故に彼を拒絶したルフレが、自分の為に国も、玉座も、何もかもを捨ててきた男を前にどういった反応を示すか、だが……。
「まあ、あいつのことはどうしても一発殴っておきたかったんでな。しかし悪かったな。手間が掛かっただろう、城内の主だった人間に呪いを掛けるのは」
「問題ないわ……ノワールにも手伝ってもらったから」
「手伝わせた、の間違いだろ。それ」
「そうとも言うわね……」
「おいおいおい」
 呪いというのはサーリャに頼んだ、フレデリクや他の侍従たち等、クロムの執務室に近付く可能性のある人間の足止めのことだ。
 聖王がたったひとりの女の為に国を捨てるなど到底許される話ではない。まして今は戦後の復興もまだ半ばの段階。疲弊した国土と人心を纏め上げるには、伝説の初代聖王と同じく邪竜を滅した英雄が求められる時期だろう。
 だからクロムの決断を知られぬよう、今夜までクロムの執務室に近付けなくなるような呪いを掛けてもらったのだ。……どういう呪いかは漏れ聞こえてきた話で知ったが、自分には絶対にかけて欲しくない類のものだった。
「でも……」
 そこでサーリャは濡羽のような漆黒の髪を掻き上げた。同じく黒い瞳が見つめるのはガイアと同じく、クロムが先刻姿を消した城壁だ。そこを静かに静かに見つめ続けた後、彼女はぽつりと呟く。
「あの男の気配、昔のものにいくらか戻ったようね……」
「そうなのか? 目に迷いがなくなった感じはしたが……」
「あれなら……ルフレも」
 その後をサーリャは続けなかったが、言わんとしたことは伝わってきてガイアは再びサーリャと同じところへ視線を向けた。

(今度こそ間違えるなよクロム……。ルフレを幸せにしてやれ)

 互いに半身と呼び合い、無類の絆を築いた二人の関係はしかし、途中でどうしようもなく捻れて歪になってしまった。王がすべてを捨てて、ただの青年として愛を告げれば軍師の心を覆った鎧は解けるだろうか。
 同じ場所を見つめる密偵と、呪術師の願う結末は同じだった。どうか、どうか幸せに。
 その切なる願いに応えるように、欠けた月の傍らにある星がきらりと輝いた気がした。
 

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