Under the Rose ifルート「王と寵妃」【サイト連載版】 - 1/9

歪な鳥籠に閉じ込めたのは


 

 クロムは寝台の脇に置かれた椅子に腰掛け、未だ眠り続けるルフレを見つめていた。薄暗い室内には彼女と、クロム以外の姿はない。陽の光は刺激になるからと、聖王家に長く仕える宮廷医師は分厚いカーテンを引いたままにしておくようにと言い残し、謁見を終えるやいなや脇目もふらずこの部屋まで駆けて来たクロムを残してどこかへ行ってしまった。……衝撃的な、ある事実のみを淡々と告げて。
 それから一刻ばかり経ったが、ルフレが目覚める気配はないのは幸いだった。クロム自身、まだ混乱していて、彼女が目覚めても何と言って良いのか分からなかったからだ。かつて、半ば犯すようにして必死に抵抗する彼女を抱いた寝台。そこに横たわったルフレの顔は、陽の光をほとんど遮った室内でもはっきりわかるほど青褪めていて、否応なくクロムにあの一夜のことを、その罪深さを突き付けてくる。
 具合が悪そうだとは、思っていたのだ。けれど穏やかでありながら、その実きっぱりとクロムを拒絶している声音で大丈夫だとそう告げられては何も言えず。……そして、すぐ後悔した。もう見ていられないほどだったので、苦しい口実を作って強引に、少しでも彼女を休ませようとしたのだが、華奢な肢体が力なく崩れ落ちるのを見て心臓に冷たい何かが押し当てられたようにぎゅっと縮こまる。咄嗟に抱きとめた時にはもう意識はなく、動転したクロムはともかく医師に診せなくてはとただそればかりを考えて走った。抱え上げた身体はあの晩より重みを失くしたようで、それほどまでに耐え難い苦痛だったのかと思うと胸の内からどろどろとした黒い感情が溢れてくるようだったのだが。
「…ぅ…ん……」
 物思いに沈んでいたクロムははっとして微かな呻き声を漏らしたルフレを見る。固唾を呑んで見守っていると、彼女は結局目を覚ますことはなくほんの少し身じろぎしただけで再び規則正しい寝息が聞こえ始めた。だが僅かに頭を傾げた為に長い髪が頬や目元にかかってしまい、そのままでは寝苦しいのではないかと思って無意識の内に手を伸ばしかけ、そこで中途半端な体勢のまま硬直した。
 ルフレをこの部屋に運んだ時は無我夢中だったが、自分が彼女に触れて良いのか今更ながらに尻込みしたのだ。あの夜、確かにルフレは怯えていた。当然だろう。誰より何より信頼していた相手に手酷い裏切りを受けたのだ。クロムは彼女が消滅したことで、ルフレがただの戦友や相棒ではないということに気付いたが、彼女にとってはどんなに信を寄せていても記憶喪失の自分を拾ってくれた恩人、仕えるべき相手でしかなかったということだ。そんな男に無理矢理身体を開かれて、怯えない筈がない。
 まさにその暴力的な行為を強いたクロムが、意識がなく無防備なルフレに触れることは躊躇われた。しかしこのままにしておけば起きてしまうかもしれない。もしかしたらまた、あの怯えを隠しきれない表情で見られるかもと思うとそれも恐ろしい。
 結局、顔にかかった髪を払ってやるだけだ、と誰にともつかない言い訳をして宙空で所在なさげにしていた手をそろそろと伸ばした。ルフレが目覚めないように慎重に、細心の注意を払って目元と頬にかかってしまっている髪の束を持ち上げどかしてやる。すると、顰められていた表情が穏やかなものに戻ったのでほっとした。
 すぐ、伸ばした手を戻そうとして――寝息を漏らす唇に視線が絡め取られ動けなくなる。

 ――――ホシイ。

 ごくりと喉が鳴った。沸き上がってくる衝動から必死に目を逸らそうとするが上手くいかない。いつの間にかクロムの指先はルフレの唇をゆっくりなぞっていた。無骨な指先に触れる柔らかさ、温もりに目眩がする。彼女が今日倒れたのはクロムの所為だというのに、そんな己にクロムは絶望した。
 忘れろと彼女は言った。
 あれは一夜の夢だと。忘れてくれれば今まで通り傍にいると。その言葉通り、彼女は今までと同じように、否、それ以上に献身的にクロムに仕えてくれた。ただ、以前のような気安さはもうない。軽口を言って笑いあえるような雰囲気はもう、どこにも。それでも一度失ったと思った彼女が傍にいてくれるならと思ったが……。

(……やはり、俺は忘れられない。忘れたく、ないんだ……ルフレ)

 彼女が愛しい。他の誰よりも。
 どこで、間違ってしまったのだろう。婚姻の話が持ち上がった時、ルフレへの想いをはっきりと自覚できていればこんな歪な関係にならずに済んだのだろうか。
ぎぃ、と寝台が軋む音がした。やめろと制止する理性の声を無視し、眠る彼女の顔の脇に片手を突いたクロムはもう片方で青白い頬を包み込むようにするとそのままそっと唇を重ねた。少しかさついた、それでも自分のものとは明らかに異なる柔らかなその部分は何ら抵抗なくクロムのそれを受け入れた。勿論、錯覚だ。意識のないルフレは抵抗も拒絶もしようがないのだから。
 それでもいい、と思った。
医師から予想外の事実を聞かされて激しく動揺していたクロムだったが、今は昏い喜びすら感じていた。自分はもう、どこか壊れてしまっているのかもしれない。彼女の身に生じた事態と、その原因になった行為に後ろめたさや罪悪感を憶える感情は確かにあるのに、これでもう二度と彼女が離れて行くことはないと歓喜する気持ちの方が強かった。
 角度を変え、何度も何度も口付ける。次第に大胆になり、とうとう薄く開いた唇を割って舌を差し入れるとぴくりとルフレの目蓋が震えた。構わずに歯列をなぞり舌を絡め取ってきつく吸い上げる。
「……っぅ、んん……?!」
 くぐもった声が喉の奥から響き、細い腕がまだ覚醒しきっていない弱々しい力でクロムの顔を押した。だが、まだ解放してやらない。もっともっとと己を突き動かす衝動のままにひたすら口腔内を貪り続ける。
「……ぁ、っふ……へ……か、やめ……っんん!」
 やっと意識もはっきりしてきたのか、自分にのしかかる男がクロムだと認識した彼女はより一層激しく抵抗した。しかし寝起きの女性の力など押さえつけることは容易い。押しのけようとするほっそりした二本の腕を頭上に縫い止めて欲望に忠実に、抗うルフレの唇を味わい尽くした。
「っは……ぁ……」
 ひとまずは満足したクロムは、息も絶え絶えなルフレからようやく唇を離した。飲み干し切れなかった唾液が口元を伝い流れ落ちていくので啜ると、瞳を潤ませながらも彼女はさっと表情を強張らせ身を固くする。
「へい、か……?」
「……すまない。起こしたな」
「そんな……それより、何故……このような……っ! 約束を、お忘れですか……?!」
 荒い息を必死に整えながら詰るルフレの頬を優しく撫ぜ、クロムは口元を歪めて笑った。はっきりそれと分かるほど全身を震わせた彼女の瞳をじっと見据えながら、「ああそんな話もあったな」と静かに囁くと吸い込まれそうに青いそれは信じられないといった風に大きく見開かれ、ますます笑みを深くする。
 約束。
 あの冬の夜のことを忘れれば、今までのようにクロムの傍にいると言った、約束。
 彼女を喪うことを恐れ、後ろめたさもあって今まで他に手段もなく、彼女から提示された残酷なそれに縋り付いていたが、状況はその時と変わったのだ。……もう、約束は必要ない。
「俺は忘れない。忘れられないんだ……ルフレ」
「……っ、陛下が、そう仰るなら私は……!!」
「やめておけ。あまり無茶をするとお腹の子に障る」
「え……?」
 明日の天気を話すようなさり気のない口調で、寝台から身を起こしなおも言い募ろうとしたルフレを遮る。意味が分からないと言うかのように呆然とする彼女の、今度は柔らかな髪を梳いて唇を落とした。だが、先刻のような抵抗も何もなくルフレはされるがままになっている。それだけ、衝撃が大きかったのだろう。それはクロム以上に深刻な筈だ。既に妻も娘もいる男の子を身篭ったとなれば。
「もう、三ヶ月だそうだ。さっきガイエンが来て診ていった。近頃具合が悪かったのは悪阻の所為だったらしいな」
「そ、ん……な……」
「今日は無理だが、しばらくしたら部屋を移す。お前は何もしなくていいが……必要な物があれば揃えさせるから言ってくれ」
「ちが……違います!」
 ルフレは聞き分けのない子どものように首を振る。その顔は眠っていた時より蒼白で、「何が違う?」と問うたクロムに彼女は全身をかたかたと震わせながら、それでも掠れる声で違いますとまた囁いた。
「こ、この子の父親は……陛下ではありません……っ」
「……見え透いた嘘を吐くな。俺以外の誰が、お前に触れられる?」
「ですが……!」
 クロムは唇を噛んだ。どうして、こうも抵抗するのだろう。他に可能性がある筈がない。クロムがルフレを抱いた時、彼女はまだ男を知らなかった。そして、それ以降クロムはルフレをイーリス城の外に出ることを許さずにいたのだから、必然的にお腹の子の父親はクロムということになる。
 それとも、と、あるひとつの可能性に気付いたことでどす黒い感情が全身を駆け巡った。未来でマークの父親になった男は、今の世界でもこのイーリス城にいるのだろうか。クロムによって不本意に女にさせられた彼女を、慰めた男が。
 そう思うと堪らなかった。震えるルフレの華奢な肢体を、あの夜と同じように寝台の上に組み敷きクロムは血を吐くような声音で叫ぶ。
「なら、その男の名前を言ってみろ……っ!! 誰だ? 俺の知っている男か?!」
「……っ、痛……!」
「言え!!!」
 だがルフレは首を振るばかりで一向に何も口にしない。よくよく考えれば、彼女はこの部屋とクロムの執務室を往復するばかりで、後は食堂や会議室といったところしか行っていない。他の男が入り込む隙はないのだ。
 クロムの下で、ルフレは怯えて身を縮こませている。激昂のあまり彼女をまた怖がらせてしまったことにクロムは項垂れ、そっと彼女から離れた。それでもまだ震えは収まらない。怯えているのはクロムにか。それとも意に添わぬ行為の果てに身篭ってしまった我が子の存在か。
けれど彼女がどれだけ怯えようとクロムの心は決まっていた。
「……今度のお前の部屋は、王族専用の棟にある。しばらく使われていなかったんだが……聖王の側室の為のものだ」
 返答はない。だが震えは一層強くなったようだった。ルフレがそのような扱いを望んでいないのは分かっていたが、既に決定された事項としてクロムは告げる。本当はすぐにでも正妃として迎えたかったが、聖痕のある世継ぎを生んだ今の妻を蔑ろにしては反発を避けられまい。
「今は自分の身体のことを何よりも優先して考えてくれ。お前も……お前の子も、大切にする」
 相変わらずルフレは顔を覆って身を震わせるばかりだった。その姿に変わらぬ自分への拒絶を感じ取りクロムの気持ちを暗くさせた。けれど。

(……もう、お前は俺から離れられない。たとえお前が、俺を……愛していなくても)

 その事実に、クロムは確かに満たされていた。

 

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