Under the Rose ifルート「王と寵妃」【サイト連載版】 - 9/9

 ルフレは、今クロムの六人目の子を身篭っている。ひとりは正妃との間に儲けたルキナなので、ルフレとの間に限れば五人目の子だ。
 これまで生まれた子はすべて王子で――そして、皆一様に聖痕があった。ただし、ルフレはマークを除き、直接それを知らない。産後すぐ、引き離して乳母に預けてしまうからだ。
 小さなマークの時は、会わせて欲しいとことあるごとに懇願していたルフレだったが、二人目からはそれをしなくなった。おそらく、子を取り上げられたことすら分かっていないに違いない。
 クロムは彼女の身体を暴き、自分のものにすることはできたが、何より望んだ心までは手に入らなかった。
 かつて確かに二人の間にあった筈の絆は、玻璃のように粉々に砕け散ってもう何処にもない。
代わりにクロムは別の形で絆を求めた。それが子供だ。
 彼が孕ませた生命が、ルフレの腹の中で日々育っていく。それは、ある意味ではやはり『絆』に違いなく、今のクロムがルフレと結べる唯一のものだった。
 だからクロムはくる日もくる日も人形のようにうつろなルフレを抱いて、子が宿るよう繰り返し繰り返し精を注いだ。昼も夜もなく、堪え切れなくなれば部屋を訪って彼女を荒々しく抱く。
 孕み腹でいる間も、体位にこそ気を使ったがルフレを愛することをやめなかった。ただ今回ばかりは、同衾を控えるよう侍医にはきつく釘を差されている。
 度重なる懐胎と出産でルフレは弱り切っている。少しでもそうした意味で触れようものなら、腹の子も、無論母体の命も保証できないと言われた。
 身体が弱いのだと、かつて母に会いたいとねだるマークを退けるために口にしていた口実は、真実に限りなく近づきつつあったのだ。
 時折襲ってくるひどい渇望に悩まされつつも、クロムは大人しく侍医の忠告を受け入れていた。以前は、真紅の薔薇の花弁が降り注いだように、クロムの所有印が全身に刻まれていた肌も、今はただただ白い。 
 陽気の所為か、じとりと汗ばんだ身体を拭いてやり、夜着等を新しく清潔なものと替え、運ばれた夕餉を口移しで食べさせる。
 日々繰り返されるそれらの行為が、口さがない一部の貴族らに王の『人形遊び』と密かに揶揄されていることを知っていたが、止めるつもりはなかった。
 たとえ魂の抜けた人形のようであっても、彼が愛する女であることに変わりはないし、何より今のルフレはクロムを拒まない。クロムに怯えない。
 それは、半身たる女の愛を求めて、遂に果たされぬまま彼女に正気を手放させたクロムが得た、ささやかな慰めなのであった。
 
 ひととおりルフレの世話を終えてクロムが満足する頃、ぎらついた太陽はようやくその身を隠し、月に空を明け渡していた。
 控えの間には変わらず侍女たちが交代で詰めていることが分かるが、室内は静かなものだ。
後から思い返しても、何故そう思い至ったのかは分からない。けれど淡い月の光が差し込むばかりで、互いの微かな息遣いと衣擦れの音以外は何も聞こえない中、クロムはルフレの柔らかな髪に頬を寄せながら、気が付けばこう口にしていた。
「――――庭に、降りてみるか?」
 自分の声が夜の静寂を震わせて初めてはっとする。ルフレを、他の男の目に触れぬよう、彼女がクロム以外の誰も見ぬようにと、この聖王の側室の為の部屋に閉じ込めたのはクロムである。
 だが一度口にしてみると、それが素晴らしい思いつきであるように感じられ、「久々に、外の空気を吸うのもいいだろう」、「ちょうど薔薇が咲いたんだ。王の庭の方もきっと同じだろうから、見に行こう」と、ルフレの返事を待たず彼女を横抱きにして慎重に抱え上げた。蒸し暑いようでも、外の夜気は冷たいかもしれないのでショールも持ち出す。
 ここ数年、一度も寝室から出ることのなかったこの部屋の主を抱いて現れた聖王に、万事そつがない侍女たちも驚きを見せていた。
「陛下、どちらへ?」
「庭を少し歩いてくる。すぐ戻るから供はいらん」
「で、ですが……!」
 狼狽した声が引き止めるのに構わず、大股で居間を横切り廊下へ出た。衛兵の女性がぎょっとした様子で硬直したのを横目に、更に歩みを進める。

 腕の中のルフレは、数年ぶりに外へ出ることを分かっているのかいないのか、ぼんやりとしたままだ。
 夕餉の時間も過ぎた奥向きは、ルフレの部屋を離れてしまえば人気がない。幾人かの衛兵――勿論、女性だ――と行き会った他は誰ともすれ違わず、ほどなくして夜が深まりつつある王の庭へと辿り着く。
 夜の庭は、土のにおいや若芽のにおいも含め、花以外も色々なにおいが混じり合っていた。日中の暑さの名残で空気が少しむっとしていたから、かつて訪れた時よりそれらのにおいは強い気がした。
 香を焚いてはいても、何処か淀んでいた寝室の空気とは違い、ここは生命の香りが満ちていた。
「この辺りは……まだ咲いていないな。四阿の方へ行ってみるか」
 何故、ルフレに薔薇を見せることに拘るのか、クロムも自分の衝動が理解できなかった。何かが変わるとでも言うのだろうか。
 眠いという言葉の通り、気怠げに彼に身を預けているルフレの眼差しは、やはりここではない何処かを見つめたままである。
 壊れた心は元には戻らない。どれだけ子を孕ませようと、ある意味では揺るぎのない絆に縋り付こうと、二度と彼女はクロムに微笑みかけない。
 クロムは、いっそ狂おしいまでに彼女を愛しているが、ルフレはクロムを男として愛してはいない。むしろ正気を取り戻せば、憎悪すら向けられるかもしれなかった。
 今の彼女はお前を拒絶しないのだから、それでいいじゃないかと誰かが囁く。その通りだと思う。けれど、足は止まらない。
 
 やや夜気がひんやりとしてきたように感じられたため、四阿に到着したクロムは、抱いていたルフレを静かに静かに座らせて、持って来たショールを巻きつけた。
 見たところ、この周囲でも薔薇は蕾ばかりである。当てが外れて落胆するのとは裏腹に、安堵している自分もいて、自分の心の筈なのにと戸惑った。
「気が早かったか……。明日にすればよかったかもしれないな」
 呆けた風に呟いて傍らの細い肢体を抱き寄せても、変わらずルフレは抗わなかった。においが強すぎるのか、少し気分が悪そうに見えた。月明かりの所為かもしれないが、顔が青白い。
 ルフレはマークの時から悪阻の症状がひどく、その後三人の王子を産んでも一向に緩和されなかった。現を離れてしまった心の奥深くで、今もクロムを拒絶し続けているのだろうか。
 自嘲の笑みを浮かべたその時、薄暗い四阿の中を風がそよそよと吹き抜けていった。
 辺りの草花がそよいで葉と葉が擦れる音がし、ルフレの髪も風になびく。奥向きに戻る前、渡り廊下で嗅いだあの甘く、けれどまだどこか青い、咲き始めの薔薇の香りが微かに鼻孔を刺激した。
 ぐるりと見回した時は蕾しか見えなかったが、近くで咲いていたらしい。本当に微かな匂いなので、せいぜい一輪か二輪といったところであろう。
 しかし、クロムが抱いていたルフレの肩がびくりと、大げさなほどに震えた。
「……あ…ば、ら……薔薇が、咲いたんですか……?」
 久しく耳にしていなかった澄んだ声。か細く掠れてはいたが、明確な意志が宿る響きに目を瞠る。
 ゆるゆると視線が動き、生気が消え失せていた瞳がクロムを、確かにクロムを『視た』。
「――っ?! ルフレ、お前……」
 俺が分かるのか、問いかけようとした言葉は喉の奥で引き攣れて声にならなかった。急にルフレに触れているのが恐ろしくなり、けれども硝子玉ではなくなった双眸に絡め取られて身動きがとれない。
 どくどくと心臓が激しく脈打っていた。何処まで行っても出口のない迷路をさまよい続けているような状況に、閉塞感を感じていなかったと言えば嘘になる。
 自分を拒まぬルフレに安堵を覚え、彼女が自分の子を産むことに慰めを見出してはいたが、本来、クロムが愛した彼女は人形のような女ではないのだ。
 しかし、再び怯えられるのも、拒絶されるのも耐えられそうになかった。ゆえに、矛盾した願いを抱えながら今日のこの日まで、ルフレをあの部屋に閉じ込め続けてきたというのに。
「ル、フ…レ……」
 ようやくクロムの口は言葉を紡ぐことを思い出したが、ルフレの名しか呼ぶことができなかった。今更何が言えるだろう? 王の軍師ではなく、寵妃という極めて不安定な、彼女が望まぬ地位に押し込めて、ここまでルフレを壊した男が。
 淡い月光にけぶる睫毛が震え、視線が動く。意志を取り戻した瞳は、じっと自分の腹部を見つめていた。
 これまでのことはすべて覚えているのか、それとも身篭っていることだけは分かっているのか。尋ねてみたかったが恐ろしかった。

「――――……陛下」 

 永遠のように思われたが、実際はさほどでもなかったであろう間の後、ぽつりとルフレがクロムを呼んだ。掠れた呼びかけに静かに絶望する。
 名を呼んでくれたのは、やはり正気でなかった所為なのだ。
 続くのは怨嗟の言葉か、はたまた糾弾か。執行人に首を差し出す罪人のようにうなだれて次の言葉を待つクロムをじっと見つめて、彼女はこう囁いた。
「もし……生まれてくる子が、女の子だったら……」
 クロムは困惑した。何故、今ここで子供の話が出て来るのだろう。罵倒でも恨み言でも、他にこの場に相応しい言葉がいくらでもある筈だ。
 女の子? ああ、確かにこれまで彼女との間に生まれた子は皆、王子だった。だから生まれてすぐに引き離して、どれだけ懇願されても決して会わせなかった。
 彼女に触れ、彼女に見つめられる男は自分ひとりでいい。
 だが王女であったなら……。
 
 いつの間にか、微かにしか感じられなかった薔薇の匂いが、爛漫と咲く薔薇園に迷い込みでもしたかのように強く、強く立ち込めているようだった。
 彼女と仲睦まじく薔薇のアーチの合間を縫って歩く光景を幻視したが、錯覚に違いない。あんな甘やかな微笑みを、ルフレが彼に向けてくれる筈がない。
 一瞬で幻は消え、月明かりの下でルフレははらはらと涙を零していた。誰の為に流す涙なのだろう。自分ひとりでは、歩くこともままならないほど病み衰えていてもその涙はうつくしかった。
「女の子が生まれたら、私に……私に、育てさせてください……。もう、取り上げないで。お願いです……」
 お願い、お願い、とひたすらにルフレは繰り返していた。透明な雫が次々に溢れては落ちていく。
 愛してもいない男に無理矢理孕まされた子なのに、どうしてそこまで必死になるのだろう。
 どれだけ愛していると囁き込んでも同じ想いを返してくれないのに、子供ならば愛せるのか。

 ……クロムには、ルフレの心が分からなかった。

 ***

 やがて年が改まってしばらくすると、イーリス城で聖なる血を受け継ぐ新たな王族が産声を上げた。
右手の甲に聖痕を持って生まれたその子はリヤンと名付けられ、三つになるまで王の寵妃たる母のもとで育つ。
 母親に瓜二つの容姿を持つ、好奇心旺盛でお転婆な姫であったという。 

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