ちょっと目が据わったルフレに、一瞬気圧された様子を見せたクロムだったが、今度は後ずさることなくその場で踏み止まった。そして、覚悟を決めたようにゆっくり口を開く。
「…………ルフレ、俺はな。お前が思っているほど……頼りになる、大人の男じゃないんだ……」
「……え?」
「今までずっと……お前の前では、格好をつけていただけだ。本当はお前に触れたくて堪らないのに、一度でも触れたら……お前を手放せなくなる。だからずっとやせ我慢して、大事にしたいから、なんてもっともらしい言い訳を自分にして……」
「ま、待ってください!」
訥々とクロムは語り始めたが、話についていけない。彼の中ではなるべく筋道を立てて話しているつもりなのだろうけれど、何故ルフレに触れまいと己を戒めていたのか、理由がまったく分からなかった。
話を遮らないつもりだったのに、そもそもの前提を理解できないまま進んでいきそうだったのでやむを得ず、つっかえつっかえクロムが話す合間に口を挟む。
「あの……私たち、結婚しましたよね? どうしてクロムさんが、その……我慢、しないといけないんですか……?」
「いや……それは、だな……」
「夫婦なら、えっと……そ、そういうことをしてもおかしくないと……思うんですが……」
むしろおかしくないどころか、して当然だと思っていた自分の方が常識知らずなのだろうか。
でも一般的には、夫婦という関係を結んだら、二人で新しい『家族』を作っていくものだと思っていた。
世の中には色々な夫婦の形があって、中には子どもを持たず、夫婦二人だけの家族、という選択をする人たちもいるかもしれない。けれど、ルフレはこれからクロムと作っていく『家族』には、彼との子ども――それも、なるべくたくさん――がいて欲しい。
ルフレが上手く言葉にできない思いも込めてじっと視線をそらさないでいると、口を閉じてしまっていたクロムが、決まり悪げな様子で沈黙を破った。
「……………………自信が、なかったんだ」
ぽつりと発された言葉が、二人の間に落ちていく。
「お前は俺のプロポーズに頷いてくれたが……女手ひとつでお前を育ててくれていた人が亡くなったばかりで、悲しんでいる時に新しい家族になると言われたら……そりゃあ承知するだろう。だが、これからお前は色々な人間に出逢うし、その中に……本当に好きになる男ができるかもしれないと、思った。だからお前に触れないまま、『家族』として一番近くで守ってやろうと……そうすれば、いつかそういう時が来ても……笑って送り出してやれると……」
「……私が、母さまがいなくなってしまって寂しいから、クロムさんと結婚したって……クロムさんのこと、本気で好きじゃないって……思った、ってことですか……?」
ルフレは、信じられない思いで呆然と、クロムの言葉の意味を確認するように繰り返した。
躊躇いがちに頷かれて、脳内で色気がありすぎる父の秘書が『ほらぁ、お姉さんの言った通りでしょ?』と得意げに流し目を送ってきたものだから、思わず八つ当たりしたい気分になる。
インバースの推測が、まさか本当にその通りだとは思わなかったし、曲がりなりにも妻である自分より、彼女の方がクロムの心境を理解していたというのが、何かに負けてしまったようで凄く悔しい。
険しい表情で無言になったのは、怒るよりもそちらの意識の方が強かったからだ。けれどクロムは前者の意味で受け取ったらしく、がばりと勢いよく頭を下げられた。
「……本当にすまんっ!! お前の気持ちを勝手に決めつけて、不安にさせて……お前を泣かせたりしないと約束したのに、昨夜は、その……悪かった。謝って許されることじゃないのは分かってる。だが……」
そこで彼はゆっくり顔を上げた。瞳に宿る、縋るような色にはっと胸をつかれる心地がする。
「お前が、本当に……好きなんだ。……ファウダー社長に言われて思い知った。やっぱり、お前を他の男に渡すなんて死んでもごめんだ。だから……こんな情けなくて、約束を守れずお前を泣かせてしまったような男でも……まだ、お前の家族のままでいさせてくれるか……?」
嘘も誤魔化しも見栄も、もはやそこには存在しなかった。
差し出されたのは剥き出しの、あるがままのクロムの心。許しを求めてみっともなく足掻くこのひとの、掛け値なしの本音を聞かされて、このひと月あまり、少しずつ澱のようなものが溜まり、澱んで重たかった心が、ふっと軽くなった気がした。
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