几帳面だった母らしく、日記は量の多い少ないはあれど毎日欠かさずしたためられていた。
その日の天気や食べたものに一言二言添えられているだけの日もあったが、感情のままに書き殴ったと思しき罵詈雑言でページが埋まっている時もあり、叱る時は怖いけれど、基本的に優しく穏やかだった母しか知らないルフレは何度も面食らった。
しかも、その罵詈雑言がありとあらゆる文学的修辞を駆使した……何と言うか、レベルの高過ぎる悪口の見本市のようなのだ。
戸惑いつつ、母が家を出たと思われる頃——日記の後半を重点的に読んでいく。
するといきなり『ファウダー兄さまの馬鹿っ‼︎』という殴り書きが目に飛び込んできて、思わずページをめくる手が止まる。
日付はルフレが生まれる約一年半前。……もしかして、距離を置かれている状況に業を煮やした母が、父に突撃したという事件の前辺りだろうか。
さらに読み進めていくとやはり予想通りで、高校生になった頃から徐々にファウダーがそっけなくなったことについて、切々と苦しい胸の内が書き連ねられていた。
ファウダーの縁談が進んでいるという話を聞いて悩むくだりなどは、まさに恋する乙女である。
(あっ……ここ、『今日の夜、ファウダー兄さまの部屋にこっそり忍び込んで、帰ってくるのを待つことにする』って書いてあります……!)
父に嫌われたのだろうかとしばらく悩み続けた母は、あんまり悩みすぎて逆に開き直ったらしい。
ちゃんと相手の話を聞かない内に、自分で勝手にその人が考えていることや思っていることを決めつけて悶々と悩むなんて非生産的だ、まずは徹底的に問い詰めて自分をどう思っているのか白状させてやる、と日記の中で息巻いていて、母のたくましさと行動力に目からウロコがぽろぽろ落ちる思いだった。
(そっか……私、クロムさんの本当の気持ちを聞くのが怖くて、私のこと子どもだと思ってるから何もしてくれないんだ、ってほとんど決めつけてましたよね……。でも、クロムさんがはっきりそう言ったわけじゃないですし。インバースさんも言っていたとおり、ちゃんとクロムさんに理由を聞くべきなのかも……は、恥ずかしいですけど……)
悩んだり、落ち込んだりするのは、クロムの口でルフレが考えている理由のとおりだと言われてしまってからでいい。
後ろ向きだった思考が、母の言葉で少しずつ前向きになっていく。そうしてまた日記を読み進めていくと、徹底的に問い詰めた結果、父と一線を越えたらしい母の赤裸々な感想……のようなものがしばらく続いていて、ルフレは頬に熱が集まるのを感じた。
……やっぱり初めては痛かったとか、痛くても好きな人が自分を求めて余裕をなくしている姿を見るのが嬉しかったとか。両親の『そういう』話は、自分にまだ経験がない分、余計にどぎまぎしてしまう。
しばらく赤面ものの内容が続いたが、数ヶ月経って母が身体に変調を感じ始めた頃から、日記には喜びばかりでなく、少しずつ不安がにじみ始めていた。
父に嫌われた訳ではなく、むしろ女性として好意を持ってくれていたと確かめられたのはいいものの、なかなか二人きりで話せる機会がなく、縁談の話はたち消えることなく進んでいく。
体調の変化を妊娠によるものだと気付いた頃には、ちょうどファウダーが家を空けることが続いていたらしく、『赤ちゃんができたと誰にも知られず報告したいのに、兄さまを捕まえられない』と嘆いていた。
そうこうしている内に、ファウダーの父の意を受けた執事から半ば脅しめいた文句で堕胎するよう迫られ、頼みの綱のファウダーに相談しようにも二人の接触は見張られていたらしく、まったく近付けなくなってしまった。そして母は――――。
ぱらりとページをめくって、息を呑む。残りのページは空白だったのでこれが最後の日記のようだ。母が、恋したひとの元を離れた日。二度と会えなくなるかもしれないと、半ば覚悟していたのだろうか……。
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