「……ごめんなさい、マーク」
掠れた声でそう囁いた母の瞳から、涙が一筋零れ落ちた。
「……来てくれて、ありがとうございます。でもお願いです。私のことはいいから、早くここを……離れてください」
「そんな、母さん……っ!」
「いいんです。きっと……きっとこれは私への、罰なんです……」
何に対する罰か、母は口にしなかった。けれどその瞳には、自分を貪ろうとする運命という獣に対して抗うことをやめた諦念の色がある。
それでも消えない、我が子を案じる強い想いがマークの行動を押し留めた。
「心は決まったか? なら、こっちへ来るんだ……ルフレ」
「へい、か……」
母は自分の名を呼ぶ声に引き寄せられるように、覚束ない足取りで一歩、クロムの方へ踏み出す。
一歩、また一歩と歩みを進める度に、母の全身へ荊棘が巻き付いていく様が見えるようだった。
為す術もなくそれを見守ることしかできないマークの目の前で、母はようやくクロムの元へ辿り着き――――強引に引き寄せられ、その腕の中へ閉じ込められた。
「あっ……」
「……こんなに、俺のものだという印を付けたのに……まだ足りないか」
「……ゃ、……ッ」
こんな真冬に香るはずがない薔薇の濃厚な芳香が、一瞬強く辺りを支配した気がした。真紅の薔薇の花びらが、遠目で見ても分かるほど鮮やかに母の白い肌へ散る。
「――――どうした? 今だけは見逃してやると言っているんだ。俺の気が変わらない内に早く行った方がいい。ルフレも、お前に見られるのは嫌だろうからな」
その場を動けないでいるマークへ、冷え切った刃のような視線が向けられた。ある種の含みを持たせた物言いに込められた意味を、理解できないほど子供ではない。
クロムの腕に捕らえられた母の震えが一層強まる。進退窮まったマークはどうすることもできず、傷口から滲む血を拭うこともせず心の中で叫ぶ。
(……っ、母さん……!)
誰より慕わしいひと。
誰より幸せになってほしいひと。
先程までは確かにその手を握っていたのに、今だってほんの少し駆け寄れば抱きつけるくらい近くにいるのに、彼我の距離はあまりに遠く隔てられていた。
自分の呼気さえ煩く感じるほど張り詰めた空気の中、夜の帳が下りるようにゆっくりと、音もなく、一度は開けたはずの鳥籠の扉が閉ざされていく。
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