鳥籠の扉は閉ざされた - 2/7

 ――――いいか、一度だけだ。

 橙色の髪の密偵が繰り返し念押ししたことを思い出しながら、マークは夜が深まったイーリス城内を息を殺して進む。

 ――――一度だけ、隙を作る。見張りの交代時間の前後に色々と細工をしてな。完全に零にする、ってわけにゃいかないが、僅かでも隙ができればお前なら忍び込めるだろう。あとはとにかくルフレを説得して、見張りが戻る前にとっとと連れ出せ。俺が手助けできるのはそこまでだ。

 執務が行われる本宮は母が不在の三年で随分慣れたものの、王族の私的な居住空間が含まれる奥向きは不案内だ。ただ、そこはぶつくさ言いつつもガイアが地図と、衛兵の巡回経路を避けた形での最短経路を教えてくれた。多くは口にしなかったが、彼も今の母とクロムの有り様に思うところがあるらしい。
 折しも数日前から、聖王は視察のためイーリス南東部の領地を回っている。その分見張りの意識は緩んでいるだろう。しかも今日は新月だ。常より暗い夜闇のヴェールは、マークの姿を上手く隠してくれる。
 母への面会を執拗に願い出た所為でクロムから疎まれ、城に出入りしづらくなったマークを何かと気にかけてくれたソールとサーリャには、今日の計画を話していない。母を連れ出した後のクロムの反応が読めなかったからだ。
 まさか、自警団時代からの付き合いであるソールに厳罰を科すような真似はしないと思いたいが、協力してもらって万が一のことがあっては困る。己の半身を軟禁同然で奥向きの一室に閉じ込めてから、クロムの振る舞いは異常の一言に尽きた。
 代わりに頼ったのはちょうどイーリス国内に滞在していたグレゴだ。逃亡先のツテがありそうで、特定の国や組織に属しておらず、すぐ連絡が取れそうな人物、となると傭兵として各地に顔が利く彼しか思い浮かばなかった。
 グレゴはグレゴで、城内に不穏な動きがあるという情報を早々と掴んでいたらしく、マークが連絡をつけるといつになく厳しい顔で、正式な依頼として引き受けてくれた。

(……ここの柱廊の奥を曲がった先の、王の庭に面した二階の角が母さんのいる部屋。廊下側と、窓の外にいる見張りはガイアさんがなるべく遠ざけてくれたはずだから、後は続きの間で控えてる侍女に気付かれないように寝室に入って、母さんを起こして……事情を説明したらすぐ窓から脱出する。その後は教えてもらった衛兵の巡回経路を避けて何とか城下に出て、郊外の丘まで行けばグレゴさんが待っていてくれる……よし、大丈夫。大丈夫……)

 頭の中で何度も脱出の手順を確認する。つい気が急いて足音を立ててしまいそうになるので、緊張で早鐘を打つ心臓を必死に宥めた。
 深夜に近い冬のイーリス城は、比較的温暖なイーリスであってもしんと冷えているが、冷静になるのにこの冷たい空気は却ってちょうどいいかもしれない。
 幸い、ここまでは夜警で巡回する兵士と遭遇せずに済んだのだ。この後もきっと上手くいく。
 慎重に進んでいくと、やがて奥向きでも王の庭に面した一角へ辿り着く。物陰に隠れて周囲の気配を伺ったがそれらしいものはなく、少なくとも屋外に関してはガイアが約束を果たしてくれたようだ。
 それでも細心の注意を払い、持参したロープを使って二階の露台へ上がる。通常ならば人ひとりの体重をかければミシミシと軋む音がするものの、今はごく静かだ。ミリエルが編み出した、風魔法の応用で音を響きにくくする遮音の術である。

(室内の明かりは……こんな時間ですから当然消えてますよね。でも何とか手元は見えるかな……それじゃあ、窓の鍵をちょいちょいと開けて……っと)

 衛兵に見咎められないよう明かりは点けていなかったが、月のない夜の暗さにもそろそろ慣れてきた。さほど時間をかけず露台から室内に入るための大きい窓の解錠に成功し、隙間から身を滑り込ませたマークは目を凝らして母の姿を探す。
 寝室は暖炉の残り火が消えて久しいようで、しんと冷えていた。夜の海の底にいるような錯覚を覚えるのは、おそらくリネン類や壁のタペストリー、その他室内の様々なものが青い色で統一されているからだ。
 暗くて詳細には確かめられないものの、この部屋についての噂話の中に、まるで青の牢獄だと評したものがあったから、そう間違ってはいないだろう。己を思わせる色で部屋を埋め尽くし、それでも飽き足らずに青いドレスや装飾品で飾り立てる。
 行き過ぎた独占欲の象徴のような部屋にいると、息を殺しているからだけではない息苦しさがあった。
 視線を走らせて程なく、目に止まった寝台の紗幕は開いていた。しかし誰もおらず、もしや侵入が気付かれて別の場所へ移されてしまったのではとの焦りを覚え、室内を見渡せば長椅子の背にもたれるようにして、気怠げに腰掛ける人影を見つける。母のルフレだ。真夜中に近い時間帯にもかかわらず、何故起きているのだろう。
「母さん」
 小さく声をかけ近付いても、母はぴくりとも動かない。マークのものより淡い青髪は緩く背中に流され、茫洋とした眼差しはまるでうつろな硝子球だ。
 荊棘が絡みついた鳥籠の中、打ち捨てられた人形。
 そんな錯覚を覚えるほど、久しぶりに再会した母からは生気というものが感じられなかった。
 冬のさなかだというのに濃紺の夜着は肩がむき出しで、夜闇の中でも分かるほど白すぎる肌には真紅の薔薇の花びらを散らしたように、朱い鬱血痕がいくつもある。
 その痕は、『両親』の閨事の生々しさを感じさせるには充分で。マークは思わず目を逸した。……居た堪れなかったのだ。

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