どこにも行かせるものかと、彼は言った - 3/5

 昨日から天気がぐずついていると思えば案の定、今日は夕方からひどい嵐になった。
 修理したばかりの倉庫の屋根から雨漏りがしないといいんですけど、と顔を曇らせながら、ルフレは雨粒が暴風で叩きつけられて、がたがたと音を立てる窓から外を眺めていた。
 
(演習に行ったロンクーさんは大丈夫でしょうか……)

 今朝方、新入団員を引き連れて、フェリアとの国境付近まで演習に出発した青年の身を案じるルフレの左手には、彼から贈られた指輪が燭台の明かりを反射して淡く輝いている。嵌めているのはもちろん薬指だ。
 常に冷静なロンクーらしくもなく、切羽詰まった様子で求婚され、頷くとすぐに誓いを交わして夫婦となったのはつい先日の話である。
 今思うと、あの時の彼は随分急いでいた。急ぎすぎていたと言ってもいい。
 『早くお前と夫婦になりたかった』と、後から女性に囁く甘い言葉の語彙が乏しそうなロンクーに言われて嬉しかったけれど、ふとした拍子に疑問が顔を出す。
 彼は何故、ああも不自然なくらいに急いでいたのだろう? 
 普通は、婚姻の誓いを取り交わす前に、相応の準備期間があるものだ。二人の友人や家族、お世話になっている人々に周知する必要があるし、式を挙げるなら色々と用意もしなくてはならない。
 それくらいは記憶がないルフレでも分かるし、実際マリアベルは結婚の報告をすると、『女の一生に一度の晴れ舞台をそんな簡単に済ませるなんて、どういうつもりでいやがりますの?!』とロンクーに食って掛かっていた。
 もちろん、今イーリスはまさに復興の道を歩んでいるところで、式を挙げなかったことについて不満はない。少し、残念だとは思うけれど。
 ただ、皆に知らせる暇もなく、クロムにも事後報告になってしまったのが気まずく、後ろめたかった。

(……? 後ろめたい、なんて。変ですね、私。何も悪いことをしたわけではないのに……)

 自分の思考に戸惑って、ルフレは内心首を傾げていた。ただ、クロムへロンクーと結婚したことを伝えるのに、気が重かったのは確かだ。
 クロムも、ルフレが話すのを聞いてまず驚き、その後むっつり黙り込んでしまった。
 彼はルフレのことを妹みたいなものだと言ってくれたこともあったから、事前の相談もなく大事なことを決めてしまって、怒ったのかもしれない。
 以来、彼とは何となくぎくしゃくとしていて、ロンクーと結婚して幸せなのに、一方でルフレの心は晴れなかった。
 溜まりに溜まった書物などで乱雑としていたのを、重い腰を上げ片付けた自室で、寝台に腰掛け無意識の内に指輪を何度もいじっている。己の心の在り処を確かめようとするかのように。
 ……雨の日は、いけない。
 よくないこと、考えなくてもいいことばかり考えてしまう。ちょうど、小さい子供が中に入ってはいけませんよ、と言われている扉に手をかけて、開けようかどうしようか悩んでいるみたいだ。
 扉の中には、ロンクーの妻になることを選んだ今のルフレには必要ないものが仕舞ってある。それが何なのか、本当はルフレは知っている筈だった。でも……。

 ――――コン、コン。

 その時だった。相変わらず外では雨風が吹き荒れる中、ルフレの耳に扉がノックされる音が届いた。
 躊躇いがちで、下手をしたら聞き逃してしまいそうなほど小さな音だったのに、何故か不思議なほどよく響いた。
「……はい? どなたですか?」
 扉の向こうにいる筈の来訪者に尋ねるも、返事がない。ルフレは小首を傾げた。
 彼女はまだ、以前から使っている自警団の詰所内の部屋に寝泊まりしている。
 ルフレの意志を尊重し、当面ロンクーもイーリスに留まってくれることになったので、二人で住む部屋を探そうという話は出たのだが、見つかっていないのだ。
 そういう訳で、新婚ほやほやではあるのだけれど、同じ建物内の別の部屋を使っているのだった。
 他の団員で詰所に寝泊まりしている人間はさほど多くない。その大半は出払っている筈だから、詰所内は無人に近く、来訪者の心当たりがなかった。
 どうしましょうと寝台から立ち上がったものの、扉を開けるべきか悩む。
 休むにはまだ早い時間だから、外に出られる服装のままで、人と会うのは問題ない。けれどこんな嵐の晩だ。誰何の声に答えない相手に対応していいものだろうか? 

「…………ルフレ、俺だ。開けてくれ」
「クロムさん?!」
 どうするべきか決めかねて、もう一度尋ねようと口を開きかけたところで、慣れ親しんだ声が聞こえてきた。
 慌てて立ち上がったルフレは、ぱたぱたと部屋の入り口に駆け寄って内鍵を外す。
 そしてそのまま、どうしてこんな夜に彼が、と疑問に思うこともなく、扉を開けた。開けない、という選択肢など存在しなかった。

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