どこにも行かせるものかと、彼は言った - 2/5

 
 素振りを続けるロンクーの背後、閑散としていた訓練場の入口付近に、彼以外の人間の気配がした。
 ぴたりと剣を振る腕を止め、滲んだ汗を拭いながら確かめれば、やはり察した気配の通り、深い藍色の髪の青年が立っている。
 随分と気が乱れていた。表情も、常の青年らしくなく焦りの色が濃い。そして焦燥の原因が、自分でも掴みかねるといった様子だった。
「……クロムか。どうした?」
「い、いや……その」
 抜き身の剣を手にしたまま、亡き姉女王の後を継いで国主となり、多忙な日々を送っている筈のクロムに短く尋ねる。
 普段は言い淀むことなどほとんどないクロムは、しかしロンクーの問い掛けにすぐには答えず、視線を彷徨わせて何かを言いあぐねていた。しかし、やがて意を決したように口を開く。
「ルフレから、お前と結婚したと……聞いた」
「ああ」
「本当なのか?」
「無論だ。こんなことで、嘘をつく必要は俺たち夫婦にはない」
 夫婦、という言葉をわざと選べば、案の定クロムの精悍な面差しが険しくなった。その表情のまま、ロンクーの左手、ルフレと揃いの指輪がある辺りを凝視している。
 おそらく、無自覚なのだろう。だがクロムの態度と表情で、ロンクーはますますある確信を深めた。
 その確信こそ、ルフレとの結婚を急いだ何よりの理由だった。

 クロムは、大層ルフレを頼りにしていたし、出会って共に過ごした時間から考えられる以上に気を許しているようだった。
 彼もルフレも互いを戦友、あるいは性差を超えた親友なのだと言って憚らないが、傍から見れば友人同士にしてはいささか親密すぎるほどの距離感だ。
 何かきっかけがあれば、二人の間の友情が、男女のそれに変じてもおかしくないほどの。
 だからこそ急がねばならなかった。クロムが自覚してしまう前に、半身、親友という言葉で覆い隠している奥にあるものの存在を知るより先に、ルフレの心を自分の方へ向け、誰も――たとえクロムでも入り込めぬ絆を、目に見える形で築いておかなくてはならなかったのだ。
 駆け落ちをした恋人同士のように、求婚を承諾されるや司祭の元へ押しかけたのもその所為だった。
 ロンクーにとって、ルフレは唯一の女だという確信があった。
 あんな女は二人といない。
 始めはなんておかしな女だと思い、まとわりつかれるのが煩わしかったものだが、今では彼女のいない日々など考えられなかった。

「……結婚、したのなら……あいつを連れてフェリアへ帰るのか」
 クロムはしばらく黙りこんだ後、敗色濃厚な戦地へ出向いた兵士の家族が、その安否を尋ねるようにこわばった、何かをひどく恐れている表情で尋ねてきた。
 もっともな質問だ。ロンクーは西フェリア王バジーリオの後継者とみなされており、このまま聖王国に骨を埋めるつもりはない。
 そのロンクーの妻になったのだから、ルフレもフェリアの人間になるとクロムが考えたのは当然のことだろう。
 ただ、そこはルフレのたっての希望で、復興が進み、国内がある程度落ち着くまでは、イーリスに留まる約束をしていた。
 彼女の中で、クロムの存在は未だに大きい。結婚し、夫を持っても、常にルフレの心を一定の割合で占め続けている。
 欲張って、彼女の心の内で眠っているものを目覚めさせてしまっては元も子もない。少しずつ少しずつ、自分の存在で満たしていくつもりだった。
 しかし、やはりまだ焦っていたのかもしれない。
 ルフレがしばらくイーリスを、何よりクロムの側を離れるつもりはないことを説明すれば、それで終わりだった筈なのに、ロンクーの口をついて出たのはクロムの懸念を肯定するも同然の台詞だった。
「どうだろうな。だが、バジーリオもあいつを買っている。フェリアの王都に屋敷を用意するとも言ってくれた。悪い話ではないと思っている」
「そう、か……」
 クロムは、それだけ言うのがやっとのようだった。青い双眸に暗い影が差す。即位式の後、民に披露目をした堂々たる立ち振舞とは似ても似つかなかった。
 ロンクーももう何も言わず、抜き身のままだった剣を鞘に収めて歩き出した。
 
 この時のロンクーには、おそらくクロムへの対抗心と、彼にルフレはもう自分の妻なのだと、知らしめてやりたい気持ちがあったのだろう。
 そして剣を合わせれば相手の数手先まで読めるロンクーも、クロムという青年の内面までは正確に読み切れていなかった。
 敬愛する姉を目の前で喪った彼が、未だに癒やされぬ深い傷を抱えていること。そしてそれゆえに、心を許した人間の喪失を極端なまでに恐怖していること。
 そこまで考えが至らなかった未来の西フェリア王は、己の発言があのような事態を引き起こすことなど、予想もしていなかったのだ。
 

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