「あら……? 姫さま、ルフレさまはどうされたんですか?」
『おてつだい』なのだと張り切って母を呼びに行ったはずなのに、ひとりで戻って来た<ルキナ>を見て、控えの間で待機していたニナが首を傾げた。
そんな彼女の元へ、とてて、と駆け寄って、<ルキナ>はこれまで抑え込んでいたものを解放するように勢い込んで喋り出す。
「にな、にな、ねむりひめです!」
「……?」
「あ! えっと、おかあさまがねむっているので、もどってきたんです」
鳩が豆鉄砲を食ったような表情で目を瞬くニナを見て、慌ててそう付け足せば、ようやく「そうなんですね」と返してくれたが、それでもまだ疑問を感じている様子だった。
「今日はお天気がいいですから、少しうたた寝をされてしまっているのかもしれませんね。……でも、起こして差し上げればいいと思いますよ? 陛下や姫さまとお茶の時間をご一緒されるのを、ルフレさまはいつも楽しみにされていらっしゃいますから」
ニナが熱心にこう言うのは理由がある。
彼女を始めとする侍女たちを筆頭に、城勤めの者たちは、長く行方知れずだった聖王妃が、少しでも長く最愛の夫や娘と過ごせるようにと細やかに気を配っていた。
移動時間などに僅かでも顔を合わせられそうであれば、ようやく戻ったイーリスの女主人のため、予定を分刻みで調整することを厭わない。
それもこれも、仲睦まじい一家に、離ればなれになっていた分の時間を埋めていただきたい、と思うがゆえである。
そんな中、せっかくゆっくり顔を合わせられるお茶の機会を、午睡の誘惑に抗えず逃したとなれば主人が落胆するのは明白で、侍女としては仕える主の笑顔を曇らせるのはなるべく避けたい。
そう思ってのニナの発言だったのだが、<ルキナ>はそこで内緒話をするように、母付きの侍女の袖を引いた。
「あのね、おかあさまは『ねむりひめ』だから、おうじさまがおこしてあげないとダメなんです」
「王子さま……?」
「だからおとうさまに、おかあさまをおこしてあげてください、っておねがいしにいってきます。になも、おとうさまいがいをとおしたらダメですよ」
「あ、眠り姫ってそういう……! ふふふ、かしこまりました、姫さま。『王子さま』がいらっしゃるまで、どなたも通しません」
<ルキナ>がはじめ、やや興奮気味に捲し立てた『ねむりひめ』が、おとぎ話の『眠り姫』だとようやく合点がいったらしい。
ニナはひとつ大きく頷くと、満面の笑みで『王子様』こと父が来るまでは、誰も母の部屋へ通さないよう請け負ってくれた。
***
最近『おてつだい』に凝っている娘にルフレを呼びにいかせたら、気合いに満ちた様子で出掛けて行ったのに何故か手ぶらで戻って来た。
「おとうさま、おとうさま、おかあさまがねむりひめです!」
しかも、突進する勢いで駆けて来た<ルキナ>を抱き上げてやると、目をキラキラさせてそんなことを言うものだから、脈絡のない発言を解読するため、クロムはしばし小さな愛娘の顔を凝視して、頭を忙しなく働かせる羽目になった。
(『ねむりひめ』というと……リズがこの前<ルキナ>の誕生日にやったと話していた、おとぎ話の『眠り姫』、か? 確かあの話は——――)
「あー……、つまり呼びに行ったらルフレが寝ていた、ということでいいのか?」
「そう、そうなんです!」
さすがおとうさま、と言いたげな眼差しで見つめられ、苦笑しつつ小さな頭を撫でてやる。
突拍子もないことを言い出す幼児の相手は、お転婆だった――過去形にしていいのかは少々悩む――妹のリズで多少慣れているだけなのだが、<ルキナ>の中で父親がとんでもなく過大評価されているのは伝わってきた。
果たして、いつまで娘のこの無垢な尊敬を維持していられるだろうか。
「それで? ルフレが眠っているから、俺に起こして欲しいのか?」
「はい! 『ねむりひめ』は、『おうじさま』がおこしてあげないといけないから、るきながおてつだいしちゃダメなんです。おかあさまの『おうじさま』は、おとうさまでしょう?」
舌足らずな喋り方で、得意げに力説する小さな王女を、執務室で午後のお茶の支度をしていたフレデリクが、微笑ましそうな表情で見守っている。
ちなみに、もう間もなく義理の弟になる予定のこの騎士、政務の区切りがついたので少しひと休み……と思ったら、呼んでもいないのにいつの間にか現れた。
しかも、「せっかくですからルフレさんと姫様にもお声掛けして、一緒にご休憩されてはいかがですか。実はいい茶葉が手に入りまして……」と言い出し、小休止のはずが、あれよあれよという間に一家団欒の時間が設定されていた。
何かと心配りをしてくれるのは嬉しいのだが、婚約者――リズにもちゃんと構ってやっているのだろうか。時々淑やかさが行方不明になる妹は、へそを曲げると少々面倒だ。
まあそれはさておき、何やら最近、やたらと王子扱いされるな、と思ったものの、クロムは了承の意味を込めてぽん、と自分と同じ色彩に彩られた頭に軽く手を置いた。
<ルキナ>はどうも、乳飲み子の頃に離れ離れになりようやく再会できた母親を、おとぎ話の中の『おひめさま』と同一視しているらしい。
すると必然的に、おとぎ話の中で姫と恋に落ちる騎士だの王子だのの配役はクロムになる。ねだられて<ルキナ>が気に入っているおとぎ話の場面を、ルフレと二人で再現させられたことも何度かあった。
ルフレは恥ずかしがるし、クロム自身もこそばゆいのだが、珍しく年相応な様子を見せる娘からの『おねだり』は、できる限り聞いてやりたい。
子どもが子どもらしくいられる時間は貴重で、聖王であるクロムの長子として生まれた<ルキナ>なら尚更だ。
そうしてクロムはルキナをフレデリクに預け、聖王妃の間へ向かったのだった。
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