「何なんだあの夢は……」
妙に気の抜けるトランペットの音――ヴェイクいわく、音大を目指して浪人生活中の隣人が早朝練習をしているらしい――に叩き起こされたクロムの目覚めは最悪だった。
まず夢見が悪い。いくらクロム自身に非があるとはいえ、夢の中でもこんこんと説教されるとは思わなかった。
説教される相手がひよこだったのは、ヴェイクの明るい金髪と、寝間着代わりに渡されたTシャツの柄から連想したのだろうか。途中、クロムの反応が鈍いといきなり劇画調のニワトリに変わって怒り出すのも意味が分からない。
さらに、頭が割れるように痛い。これも自業自得で、昨夜自分の限界を超えてあれだけ飲んだのだから二日酔いになっても無理はない。
どちらにせよ誰の所為でもなく、自分に責任があることなので堪えるしかなかった。
先程のトランペットの大音量にもかかわらず、ヴェイクはまだ夢の中である。生半可なことでは起きなさそうだが、一応大きな音を立てないよう注意しながらタオルを探し、軽くシャワーを浴びる。少しは気分がましになり、顔も洗ってさっぱりしたクロムは借りていたTシャツと短パンから着替えた。
料理ができればせめてもの礼として朝食くらいは作っていくのだが、生憎クロムの料理の腕はからきしだ。というか、そもそも一人暮らし用の小さい冷蔵庫の中は缶ビールに占拠され、野菜室にしなびたキャベツが申し訳程度にあるだけ。魔法使いでもない限り、これで朝食を作れと言われても無理だ。
短く嘆息したクロムは、その辺りに転がっていた広告の裏に『色々と迷惑をかけた。礼に今度好きなものを奢る。行きたい店を考えておいてくれ』と書いて、冷蔵庫にマグネットで貼り付けた。
下駄箱に放置されていた鍵で一度施錠し、今は外されている郵便受けにつながる隙間から鍵束を落とす。玄関のど真ん中に落ちていれば、さすがに気付くだろう。
そして一路、家までの道を急いだクロムだったが、アパートは既にもぬけの殻だった。
今日は亡くなったルフレの母親の月命日で、一緒に墓参りに行く予定だったが……おそらくひとりで出発したのだろう。墓地へは電車とバスを乗り継いで行かなければならず、休日は本数が少ないから、家を早めに出ないと帰りが遅くなる。
電話をしてみようか、とズボンのポケットに入れっぱなしにしていた携帯電話を取り出してみるものの、掛ける勇気が出ない。
「……昨夜あんなことをしたんだ。電話に出てくれるはず、ないよな……」
力なくそう呟いて、リビングの奥まで行く気力も湧かず、ダイニングテーブルの前に腰掛けた。
ところがテーブルの上には「冷蔵庫に夕飯の残りのスープがあります。朝ご飯がまだだったら食べてください」という書き置きがあって、堪らない気持ちになる。
昨夜のクロムは最低だった。結婚して約ひと月、軽い口づけや抱擁以上の、『夫婦らしい』行為は何もしないまま。
そのくせ泥酔して帰宅し、ムードも何もない状況で同意なく押し倒したかと思えば途中で止め、明らかにそうした行為が初めてだったルフレを放置して、夜遅くに飛び出したまま朝まで戻らない。
そんなどうしようもない男でも、彼女はちゃんと食事の心配までしてくれたのだ。字が少し震えているから、もしかしたら泣きながら書いたのかもしれない。そう思うと昨日の自分を殴り飛ばしたくて仕方がなかった。
――――お前のことを一番近くで守りたい。誰にも傷付けさせないし、泣かせたりしない。
指輪を渡した時、確かにそう告げたのはクロムだった。なのに、誰より守りたいと思った相手を傷付け、おそらく泣かせてしまった。
がたん! と勢いよく立ち上がったクロムは、矢も盾もたまらず玄関先へ走って家を出た。
自分で泣かせてしまった少女の涙を拭うことを、許してもらうために。
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