夫婦になるまで5 - 2/5

 

「————お前、バカじゃねえの?」
 
 
 こんな状態で家に戻るわけにはいかないと、クロムは迷った末に歩いて隣駅近くに住むヴェイクのアパートまで辿り着いた。
 そして寝入り端を叩き起こされ、不機嫌な友人に迫力ある声と表情で促されるまま——大学在籍中から馬鹿騒ぎばかりしているが、面倒見はいい奴なのだ、本当に——今夜、否、前日夜の出来事や、これまでの煩悶を洗いざらい喋らされた結果、地を這うような低い声で言い放たれたのが先程の台詞である。
 普段は明るく頼りになる皆の兄貴分のヴェイクだが、流石に深夜を回ったこの時刻に押し掛けられ、新婚ほやほやで甘い蜜月を過ごしていると思っていた友人から、こんな情け無い話を聞かされて、他に言葉がなかったのかもしれない。
 しかし、クロムにも一応言い分はあるのだ。
「……いや……だがな、ルフレはまだ十六だろう。今は母親を亡くしたばかりだから、俺が家族になると言って、優しくすれば依存するに決まってる。そこにつけ込んで、手を出すのは卑怯だと——ぐふっ⁈」
 だが面倒見がいいのと同じくらい喧嘩っ早い友人は、こちらの釈明を最後まで言わせてくれなかった。
 バカ野郎、という怒鳴り声と共に、狭い五畳の和室で向かい合って胡座をかき座っていたヴェイクが、クロムに頭突きをかまして来たのだ。
 ……そう言えば、ヴェイクは中学、高校と番長的な存在で、他校の生徒との喧嘩では負け無し、武器はこの頭突きだったらしいことを衝撃と痛みの中思い出す。
 思いがけず我が身をもってその威力を体感させられたクロムは、意識が一瞬遠くなった。本当に、冗談でなく痛い。漫画では殴られると星が飛んでいるが、ちょうどあんな感じだ。
「ちったぁ目が覚めたかよ」
「……痛っ……いきなり何なんだ……⁈」
 涙目で抗議してみるが、普段は何でも明るく笑い飛ばす友人は、表情を消したまま両手を組んでゴキ、ゴキと嫌な音を鳴らしていた。……まさか、次はいよいよ殴り飛ばすつもりだろうか。
「……っ! ちょっと待てヴェイク! ぼ、暴力はいかんぞ⁈ というかお前、こんな真夜中に騒いだら近所迷惑だろう!」
「うるせぇ! んなもん知るか! テメェがふざけたこと抜かしてるからだろうが!」
 間髪おかず怒鳴り返してきたヴェイクは、完全にスイッチが入ってしまっていた。目が据わっている。
 一呼吸入れた後——自分を落ち着かせるためではなく、次の攻撃に備えているようなのが恐ろしい——、これが最終通告だ、とでも言うかのように冷え冷えとした口調で問い掛ける。
「……お前、今俺にしたような話、ルフレにもしたのか? ルフレもその通りだって言ったのかよ」
「……いや、それは…………」
 言えるはずがない。ルフレの前では、頼れる男でありたいのだ。
 なのに、年下の少女に惚れ込むあまり、彼女が母親を亡くした悲しみに暮れているところにつけ込んで、他の男に奪われる前にと囲い込んで。
 けれどその後ろめたさから、何だかんだと言い訳をして、一線を越えられない情けない男であることを、ルフレには知られたくない。
 はっきりとは口にしなかったものの、言葉を濁したクロムの反応で粗方察したらしいヴェイクは、声量は小さくなった一方で、火山が爆発する直前のような不穏な雰囲気を漂わせつつ凄んだ。
「ほぉーそうかよ。……クロム、お前ルフレのこと、大事にしたいって言ってたよな?」
「あ、ああ……——ッ⁈」
 恐る恐る頷いた次の瞬間、クロムの胸ぐらを目にも止まらぬ速さでヴェイクが掴み上げる。
「ふざけんじゃねぇ!! テメェの面子の方を優先してルフレの気持ちも確認せずにグダグダ言い訳ばっかしやがって! あのなぁ、さっきからまだ十六だの、家族を亡くしたばかりで優しくされれば勘違いするだの、そこにつけ込むのは卑怯だの抜かしてるが、年下だからってあいつの気持ちを軽く扱うな!
 大事にしたいなんて言っておきながら、ちっとも大事にしてねぇよ!!」
「――――っ!!」
 頭突きをかまされた以上の衝撃が、全身を駆け巡った。
 今は胸ぐらを乱暴に掴まれているだけだというのに、まるで脳天を助走をつけ、渾身の力で殴り飛ばされたようだ。
 ……クロムは、ルフレのことを守ってやらなければと思うあまり、彼女を弱いもの、側で支えてやらねば意思決定も覚束ない幼い存在だと思って、独りよがりになっていなかったか。そう、抜き身の刃と共に突き付けられた気がした。
 クロムが彼女に惹かれたのはたくさんの理由があるが、一番は年齢に見合わぬ大人びた部分と寂しがりやで脆い部分のアンバランスさだ。
 けれど一方で、一見控えめでありながら芯が強いところがあり、決して誰かに守られているだけの少女ではないと、自分できちんと考え決断できる意志の強さがあると知っていたはずなのに。
 クロムが声さえ出せず衝撃を堪えているのを、ヴェイクも認識したらしかった。先程までの怒声は少しトーンダウンし、説教じみたものに変わる。
「……それにな。いいか、ルフレの身になって考えてみろ。好きな男と結婚できたのに、一向に手を出して来ないんだぞ? 自分に魅力がないんじゃないか、子どもだと思われてるんじゃないかって悩むだろうが」
「——っ、そんなわけあるか! 逆に魅力的過ぎて困ってるッ」
「ならそれをルフレにちゃんと言えっつーの! 大体なあ、卑怯だと思うなら、惚れた女の心がずっとテメェから離れねえようになりふり構わず努力しろ! 情け無いところを見せたくないだのなんだの、ごちゃごちゃ言って格好つけんな!」
 トーンダウンしたかと思ったら、手痛い二撃目が来た。
 奥歯をぐっと噛み締め、何か言ってやろうとするのだが、ヴェイクの言うことが正論過ぎて僅かな反論さえできなかった。
 喧嘩っ早いが情に厚いこの男、大学時代の講義は代返を活用しまくり、試験は大勢いる友人や知り合いのツテで要点をまとめたノートのコピーやヤマを張った予想問題を入手し、どうにか合格点すれすれで乗り切っていたくらい勉強は苦手なくせに、時々物事の本質に迫る言動をする。
 今もそうだ。クロムはルフレとの年齢差を気にするあまり、大切な少女の意志を勝手に決めつけ、うだうだと悩んで似合わぬやせ我慢をした結果、誰より守ってやりたいと思っていたはずの彼女を傷付けた。
 ……そう、傷付けたのだ。
 もう二度とルフレが泣かなくてすむよう、一番近くで守ってやりたいと強く願った。
 恋人というだけでは踏み込めないことも、家族なら叶う。打算はあったにせよ、守りたいという思いは本物で、だからプロポーズしたのに、その相手の真摯な想いを踏みにじった。
 ルフレはひたむきに、いじましいまでにクロムを恋い慕ってくれている。恋人――まして夫婦ならばして当然の行為を待ってくれていたかもしれないのに、昨夜のクロムの行いはどうだ。
「………………俺は、最低だな……」
 アパートを飛び出したばかりの時とは別の意味で呟き、うなだれるクロムの背を、バシッ! と叱咤するようにヴェイクが叩く。
「おー、最低だ最低。まあそれを認識しただけでも一歩前進だろ。とりあえず今日は泊めてやるから、よーく反省しとけ。それで、起きたらさっさと家に帰ってルフレに一切合切説明して、土下座でも何でもするんだな。ま、愛想を尽かされるかもしれねぇけど」
「冗談でもやめてくれ…………」
 そう弱りきったように言ったクロムの声が余程情けなかったのだろう、ヴェイクは笑いながらも、ちゃぶ台をどかしてクロムの分まで布団を敷いてくれた。
 押し入れから封が開けられていないTシャツと短パン――ただし、何故か大変可愛らしいひよこ柄で、色はピンク――も出してくれたので、ありがたく受け取って、寝る支度に取り掛かる。
 一気に睡魔が襲ってきたが、脳内のフレデリクが毎食後の歯磨きは絶対にすること、と口やかましいので、半分夢の世界に旅立ちかけている友人に一言断って、勝手に洗面所を漁り、雑にしまわれたストックの歯ブラシを拝借する。シャワーは朝に回そう。
 そうして寝る前のあれこれを終えたクロムは、薄い布団にいよいよ疲労感を訴える身体を横たえた。隣からいびきが地鳴りのように響いてくる中、うつらうつらと考える。

(ヴェイクには後で礼をするとして……朝になったらすぐ家に戻ってルフレに…………。話を聞いてもらえないかもしれんが、とにかく謝って、事情を話して……それで、ルフレが許してくれるかどうか、なんだが……)

 守ると言いながら彼女を傷付け、泣かせてしまったクロムのことを、一度謝ったくらいで許してくれるだろうか。
 再び不安に襲われ、及び腰になりそうな自分を、クロムは脳内で叱り飛ばした。
 一度で駄目なら二度でも三度でも、彼女が謝罪を受け入れてくれるまで何度だって許しを乞えばいいのだ。
 みっともなかろうが、頼りになる年上の男という幻想が崩れようが、愛する女性を失うより余程ましだ。
 今度こそ、見栄や外聞を取り払った、ありのままの本音をルフレに伝える。こんなに腑抜けて、情けなくて、どうしようもない男だが、本気で好きなのだと。
 覚悟を決めて目を閉じると、疲れ切った身体はすぐ深い眠りへ落ちていく。
 そしてその晩、クロムは巨大なひよこに膝詰めで説教される夢を見た。

 

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