夫婦になるまで5 - 1/5

 ここで、時間は昨夜に遡る。
 昨夜――というか既に今日に差し掛かった深夜、アパートを飛び出したクロムは、酔いが回って覚束ない足取りのまま、あてどなく人気が少なくなった街を彷徨っていた。
 そろそろ初夏に差し掛かるとはいえ今晩は風が強い。その上深夜を回れば、スーツの上着があっても外をうろつくのは少々肌寒い。
 しかし、今のクロムにとってはむしろ歓迎すべきことだった。
 日頃は必死になって抑えつけている、ルフレに対して抱く男としての欲――愛しい女を組み敷いてその肌に触れ、自分のものにしたいという凶暴な衝動が、酒精によってコントロールが効かなくなり、身体の内側で暴れ回っている状態なのだ。
 それを鎮めるためには、多少寒いくらいでちょうどいい。いやむしろ、真冬の川に飛び込むくらい自分を痛めつけたいという思いでいっぱいだった。
 

(俺は、最低だ…………)

 
 髪を乱暴に掻き乱し、頭を振る。暴れる本能に少しでも理性という手綱を付け直そうとするのだが、我慢し続けたご馳走をようやく味わえると思ったら、強引に取り上げられてしまったことで、却って手に負えなくなってしまっていた。
 懸命に振り払おうとしても、脳裏に蘇るのはソファに押し倒していつもより深く貪ったルフレの唇の柔らかさや、飢えた獣のように齧りついた肌の甘さ。それに、シャンプーと混じって香る魅惑的なにおい。
 ……そう、帰宅が彼女の入浴直後になったのもまずかった。普段は可憐な印象が先にくるのに、白い肌が湯上がりでほんのり色づいて艶かしく。酒精で弱った理性の砦は窮地に立たされ、酔った男がどれだけ危険か理解せず触れてくる新妻の無防備さにあっけなく崩れ去った。
 今も、五感すべてが克明に記憶している彼女の存在が、クロムの中の欲を掻き立ててやまない。
 大事にしたいんだ、とガイアたちに嘯いたその夜にこの体たらく。酷過ぎるにも程がある。
 ルフレはほとんど抵抗らしい抵抗をせず、むしろ耳に毒な甘い声を上げてクロムのされるがままになっていたが、だからと言って今晩の行為が許されるわけではない。
 彼女は、母親――たったひとりの家族を亡くしたばかりなのだ。ひとりぼっちになってしまったと声を殺して泣く、やっと十六歳の誕生日を迎えようかという少女の弱った心に、クロムはつけ込んだ。
 自分が新しい家族になると告げ、ひたすら優しくした。深い悲しみと孤独で凍えそうになっていた華奢な身体を抱き締めて、これ以上何からも傷付けられないようにと。
 元々淡い好意を持っていた相手にそうされれば、誰だって依存して――そして、愛情と勘違いする。ただでさえ、ルフレは母ひとり子ひとりで育ってきた所為で、頼れる年上の男に憧れているようなのだから。
 それを承知で、クロムは卑怯にも彼女を『結婚』という鎖で自分に縛り付けた。

(……だが、これ以上は駄目だ。ルフレを一番近くで守れる権利は得た……それだけで満足するべきなんだ。ルフレが俺に好意を持ってくれたのは、おそらく刷り込みみたいなものだろう。エリスさんとバジーリオのガードが相当固くて、友人レベルまで親しい関係になった奴はほとんどいなかったようだし……。初めて親しくなった年上の男が、たまたま俺だっただけだ。これから出会いが増えれば、他の誰かを……好きに、なるかもしれない)
 
 
 想像するだけで胸が掻きむしられるようだが、耐えなければならない。
 喪失の悲しみを埋めるために依存したのを、愛情と錯覚したのでなく。ルフレが心から好きになった相手ができた時、ちゃんと送り出してやらなければ。
 クロムがすべきなのは、家族を亡くした彼女の心の傷が癒えるまで一番近くで守ってやることで、卑怯な男の独占欲が唆すまま穢すことではない。
 ……そう、自分を戒めようとしていたのだが。
 
 

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