蒼。
それがきっと、わたしの一番はじめの記憶。
青と蒼で埋め尽くされたあの懐かしい部屋でわたしは生まれ、それから五つになるまでずっとそこから出なかった。
多分以前は別の用途で使われていた、わたしが走り回っても怪我をしないように毛足の長い絨毯が敷き詰められて、余計な家具が置かれず広々としていた子供部屋と、母さまの寝室だけが当時のわたしに許された世界だった。
格子が嵌め込まれて開かない窓。本の中で読む可愛い動物、綺麗な景色、木登りや水遊びのように楽しそうなこと、そんなものたちを実際に目にしたり体験したりできない、鳥籠に閉じ込められた小鳥のような暮らし。
兄さまたちも、あの部屋を出てからわたしに付けられた侍女たちも、みんなわたしのことを可哀想と言ったけれど、どうしてそんな風に思われるのかちっとも分からなかった。
だってあそこにいた時は、何もかもが完璧で満たされていたから。
……ねえ、あなたはお母さまのお腹の中にいた時のことを覚えている?
絶対に安全な場所。何があっても自分のことを愛して、守ってくれるひと。そのひとのあたたかな愛に包まれながら、揺籠の中でゆったり微睡んで。何も怖いものなんてない。不安に思うこともない。全部満たされているの。
え? 覚えてはいないけれどよく分かるような気がする? ……そう、そうなの。きっと、あなたのお母さまも、優しくて素敵な方なのね。
そう、だからね、わたしはあそこでとっても幸せだった。
母さまは身体が弱くて——前もそうだったけど、なんだか変な反応……。やっぱりあなた、母さまをよく知っているんじゃない?——時々体調を崩して寝込むことがあったけれど、元気な時はわたしに読み書きだけじゃなくて色々なことを教えてくれたの。
わたしの母さまは凄いのよ。本当に、頭の中にお城の図書室が全部入っているみたいで、なんでも知っていた。お話をしてくれるのもとっても上手で……わたしを膝の上に乗せてね、優しい綺麗な声でたくさんの物語を聞かせてくれた。
英雄王マルス、ユグドラシル伝承に出てくる光の公子さま、とっても大きな竜という生き物に変化できるマムクート。色々な英雄たちのお話もわくわくしたし、母さまが昔船で渡ったっていう、うんとひろーい海のことを聞くのも好きだった。
でも一番はね、母さまと父さまのお話。女の子は恋のお話が好きなものでしょう? 恋の意味さえ知らない小さなわたしだって例外じゃなくて、無邪気に父さまのどこが好き? どれくらい好き? って何度も聞いていたの。
……あの時、母さまはどんな気持ちだったのかしら。
わたしはまだ何にも知らなくて。愛も恋も、本の中で出てくるみたいにとても眩しくてきらきらして、素敵なものだとしか思っていなかったから。
抱き締めても傷付けてしまう、荊棘で締め付けるような、光が届かない深くて暗い場所に未来も何もかも沈めてしまうような、そんなどうしようもない愛が父さまと母さまの間にあることを理解していなかった。
だからある時母さまが古びた青い耳飾りを、わたしが眠っている間にこっそり、とても大事そうに手に取って見ていた時も、気にせずそれはなあに、って聞いてしまったの。
母さまは少しだけ躊躇った後、誰にも内緒ですよ、って言いながら見せてくれたけれど……今思えば聞くべきじゃなかった。
薔薇の茂みの下へ秘密を埋めるみたいに、母さまが父さまにずっと隠し続けていたもの。その象徴があの耳飾りだったから。
ただ無知なわたしは、どうして父さまにも内緒なのか分からなくて、でも母さまとわたしだけの秘密ができたのが嬉しくて、それからもわたしたち以外に誰もいない時を見計らって、何度も父さまからその耳飾りを貰った時のお話をねだった。
母さまとわたしの間にある特別なものを確かめるように、何度も何度も。母さまはそんなわたしに嫌な顔ひとつせず付き合ってくれた。
ううん、耳飾りのことだけじゃなくて、母さまはずっと優しかったわ。もちろん、してはいけないことをすれば叱られたけれど……母さまが数年だけでも自分の手元に置いて育てられたのはわたしだけ、大きくなっていく過程を見られたのもわたしだけだから……兄さまたちの分まで、うんとわたしを愛してくれた。
それに、父さまを大切に想っていることを折に触れて話してくれたのは多分、母さまがわたしのために作り上げた幸福な虚像を壊さないためだったのかも。
愛し合っている両親に、望まれて生まれてきた、っていう。
そのために、母さまはわたしの前ではごく普通の夫婦として振る舞うよう、父さまに提案したみたい。
父さまにはお芝居だと、わたしの前で愛しているふりをしているだけだと思わせておいて、幸せな夫婦ごっこをしている時だけ、父さまへの本当の気持ちを表に出せた母さま。
母さまの嘘をすっかり信じていた父さま。
何も知らなかったわたし。
今思えばとてもちぐはぐで、歪な形の家族だったけれど。本当に、本当に幸せだったの。もう二度とあんなにも幸福な日々は訪れないとナーガ様に誓って言えるくらい。
父さまが母さまを閉じ込めた鳥籠は、きっとわたしの楽園だった。
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