恋人ごっこ - 2/4

 
 
 暖炉の炎で温められた室内は、廊下とは別世界だ。
 しかし、確かにほっとするような暖かさに包まれていながらも、それをどこか遠く感じながら、クロムは寝台の上に身を起こしたルフレを凝視した。
 この半年、狂おしいまでにその行方を探し求めた半身。
 彼女の淡い琥珀色の瞳には、今でも忘れ得ぬあの冬の日の拒絶も怯えも存在しない。
 寝室に足を踏み入れたクロムの全身を、どっと安堵が包み込んだ。深く、重たい安堵だ。
 
 (まだ……記憶は戻っていない、か…………)
 
 今のルフレにとって、クロムは『恋人』だ。
 事故で馬車が崖から落下し、生死の境を彷徨うような大怪我を負った彼女を自分の屋敷で保護した貴族の男。
 武官として勤めるイーリス城がある聖都からこの館まで、馬を駆って毎日恋人に会いに来る————。
「……今日は昨日より、体調が良さそうだな」
 全ての感情の波立ちを綺麗に隠して、クロムは微笑んだ。
 寝台まで近付き、椅子に腰を下ろしてから前髪をそっと掻き上げ額に触れる。確かにまだ熱っぽいし怠さはあるようだが、昨日より少し顔色はいい。
 以前は血の気がなく、かさついていた唇も随分ふっくらと、健康的な色味になった。クロムが先日持参した薬効のある紅を使ってくれているようだ。
 冬の外気で冷えた手が発熱している身体には心地いいのか、ルフレは目を閉じて甘えるようにくたりと力を抜いた。
「今日は昼間、晴れたので暖かくて……身体が少し楽なんです。それに食欲が出てきましたし、クロムさんが持って来てくださった本も面白くて……」
「そうか、それは良かった。だが油断するなよ。無理は禁物だし、夜は特に温かくしていた方がいい」
 クロムの名を呼ぶ小さな唇に吸い付きたい衝動を押し殺し、優しく頬を撫でてから近くにあったショールをもう一枚羽織らせる。
 甲斐甲斐しく世話をする男と、熱の所為ばかりでなく、僅かに頬を染めてそれを受け入れる女。
 側から見れば仲睦まじい恋人同士にしか見えない二人の関係が嘘に塗り固められているなど、誰が信じるだろう。
 ルフレは今、クロムが与えた偽りの中で生きている。
 怪我を負った経緯も、城に勤める武官だというクロムの経歴も、彼女自身の素性も、何もかもが嘘だ。
 恋人——クロムの訪れを待ち焦がれる健気でいじらしい様子も、帰り際追い縋るように切なく揺れる瞳も声も全てその偽りゆえだというのに、いつの間にか彼女と真実心が通じ合っているのだと錯覚しそうになる。彼女に愛しく想われているのだと。
 ……そんなことは決して、あり得ないというのに。
 

 *
 

 他愛のない話をしつつ夕餉を供にして、ルフレが薬湯を飲み横になるのを見届けた後、心細そうにする彼女の様子に後ろ髪をひかれつつも城へ戻る。
 さすがに、所在を明らかにしないまま王が一晩帰還しなければ大騒ぎだ。もっとも、人々が寝静まったこんな夜更けまで城を空けている時点で問題かもしれないが。
 
「————ようクロム。随分遅かったじゃねえか。聖王様が夜な夜な遊び回ってる、ってのはいかがなもんかと思うぜ?」
「ガイア……」
 警邏の兵士に見咎められぬよう、上手く巡回の間隙や抜け道を使って城内に戻ったクロムは、人気のない夜の中庭で密偵らしからぬ橙色の髪の男に行く先を阻まれた。
 部下を通じて報告を受けてはいたものの、直接の対面は久々だ。
「……別に、遊びに行っていたわけじゃない。通してくれ」
「今晩も『あいつ』のところか?」
「…………」
 言葉少なに脇を通り抜けようとすれば、肩を掴まれ引き止められる。無言で睨め付けたクロムを見て、ガイアが皮肉げに口元を歪めた。
「それで? いつ城に連れて来るんだ? 容態が落ち着いてきたのは聞いてる。療養させるならあんな辺鄙なところに建ってる館じゃなくて、こっちの方がいいだろ。手配しろ、ってんなら人を出すが」
「……いや…………」
 昨冬、突如城を出奔したまま行方知れずだった王の軍師が見つかった事実は、まだ伏せられている。
 知っているのはクロムと、王直属の密偵——ガイアと、その部下たちだけだ。遠いペレジアで見つかった軍師が記憶を失っていることを知るのも同じ。
 ガイアと共にペレジアへ向かわせたティアモも、王第一の側近として誰もが認めるフレデリクでさえ把握していないことを話すために、今夜わざわざここで待ち構えていたようだ。
 ペレジアにいるらしいルフレを探して連れ帰れ、という命令を伝えた際には、少なくとも表面上は大人しく聞き入れていたし、追跡の際にルフレが大怪我を負ったことに責任を感じたのか、これまで部下を采配し、医者や秘密を守れる使用人の手配、薬や日用品の用意まで黙々と動いてくれていたが、今クロムを見る眼差しは厳しい。
 その眼差しから逃れるように顔を背ける。
「あいつは……記憶が、まだ戻っていないんだ。それなのに城に移動させても混乱するだろう。容態が落ち着いて来た、と言っても移動で身体に負担がかかるのも心配だし……」
「ハッ。そうだよな、城に連れて来たらあいつにバレちまうもんな? 自分はお前の恋人だ、なんて言って優しくしておきながら、実はとっくの昔に結婚して嫁もガキもいるって」
「ガイアッ!!」
 クロムが声を荒げても、ガイアはかけらも動揺しない。それどころか、常に飄々としているこの男には似合わぬ鋭さと冷気を表情にも声にも纏わせて、斬りつけるように言葉を放つ。
「いいか、クロム。これまでお前はいい雇い主だったし、恩もある。だから一度は無茶な命令でも動いたし、フレデリクにも誰にも知らせるなというからそうした。……だがな」
 ぐい、と乱暴な力で小さな何かを押し付けられた。
 いつの間にスリ取ったのか、館に行く前に外して、外套の隠しに入れていた指輪だ。聖王と聖王妃が対で持つ、伝統的な装飾が施されたもの。家族を蔑ろにし、偽りの甘い夢に浸る主を責めるように、小さいながらもその感触は恐ろしいほど硬く冷たい。
「このまま恋人ごっこを続けるっていうんなら、話は別だ。お前は、あいつのことをどうするつもりなんだ?」
 

 

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