お代を払おうとしたのにやはりまた断られ、何度か押し問答をしている内に、城下はもう夕焼け色に染まり始めていた。本当は新しい本の入荷がないか見に行こうと思っていたのだが、早めに戻るといいと言われたので素直にそれに従うことにする。
寄り道をせずまっすぐイーリス城内に与えられている自室に戻ると、彼女の部屋を受け持ってくれている年嵩の女官がちょうど部屋の扉を叩いた。
クロムの幼少時代からこの城に勤めているという彼女は、彼とルフレが互いに将来を誓い合った仲だということも、けれどイーリスの復興を優先しまだ約束を正式なものにしていないのも知っていて、何かと気遣ってくれるのだった。
「ああ、ルフレ様。お部屋にいらっしゃたのですね。ようございました。クロム様からのお届けものですよ」
「まあ、クロムさんからですか? ありがとうございま、す……?」
微笑んで受け取ったそれは、何かどろりとした液体が入った硝子瓶だ。雑多な薬草を煮詰めたような怪しい色。思わず笑顔が引き攣る。クロムが贈ってくれるものだ、悪いものである筈がないが、それでもこの色は。
ルフレの内心を察したように、女官の落ち着いた笑みが苦笑めいたものに変わる。
「ご安心下さいませ。確かに色は凄まじいですが、よく眠れるお薬だと言付かっております。……僭越ながら、ルフレ様が近頃あまりお休みになれていないようでしたので……それをクロム様にお話しましたところ、こちらを、と」
「そう……なんですか」
ほう、と息を吐いて、ルフレは手を伸ばしかけて躊躇っていた薬瓶を、両手で包み込み胸元で大事に大事に抱え込んだ。硝子だから冷たい筈なのだけれど、仄かに温もりが感じられる気がする。
「勝手をいたしました。申し訳ございません」
「いいえ! そんな、そんなことありません。ありがとうございます……本当に」
頭を下げる女官を慌てて制した。おそらく、クロムとろくに顔を合わせられず気が塞ぎがちだったルフレのことを、彼女なりに気遣ってくれたのだろう。本当に、自分は周囲の人間に恵まれている。
意識を失って草原で倒れていたルフレを助けてくれたクロムやリズだけでなく、記憶がないのに軍師としての戦術に関する知識だけは次々と浮かび上がり、剣も魔法も使いこなす、怪しすぎる女を信じ共に戦ってくれた多くの仲間たち。そして、こうして優しく見守ってくれる人もいる。
互いに頭を下げ合う内に滑稽になって笑い出してしまい、それを見た女官は安心したように『ごゆっくりお休み下さい』と告げて下がって行った。
夕食ではやはり忙しいらしいクロムと会うことはできなかったが、よく眠れないでいるルフレを思ってわざわざ薬を届けてくれた彼の心遣いが、暗かった彼女の心に温かな火を灯してくれていた。
その為に穏やかな気持のまま、湯をもらって温まってから自室に戻ると、卓の上には女官を通してクロムから贈られた薬瓶と、その隣には置いた覚えはないのだが占い師の老人にもらったあの黒い石があった。
「ふふ……また当たりましたね。あのお爺さんの占い。早めに部屋に戻ってよかったです」
夜着に袖を通し終えたルフレはぽつりとひとごちて久々に心から微笑んだ。早速、瓶の蓋を開けて中の液体を口に含む。添え書きによると一度に小指の先くらいの量で良いらしい。色からして相当苦いだろうと覚悟していたのに、意外や意外、舌先に伝わってくる味は熟した果実を煮詰めたように甘かった。
驚きながら飲み干すと、すぐ眠気が襲ってくる。随分と即効性のある薬だ。けれどこれならばよく眠れそうだと、クロムの笑顔を思い浮かべながら寝台に横たわった。いつもならばなかなか寝付かれず何度も寝返りをうつのに、今夜はたちまち目蓋が重くなって。
(くろむ……さん……)
恋しい想い人の名を声にならぬ声で紡いだのを最後に、ルフレの意識はあっという間に睡魔に浚われてしまった。
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