愛しき夢

 人の気配を感じて、うつらうつらとしていたクロムは無意識の内に傍らのファルシオンの感触を確かめ、愛剣が手元に変わらずあることに安堵すると、それから少しずつ薄目を開けて室内の状況を認識しようとする。

(ん……?)

 だがすぐに、その気配の主に殺気がないことに気付いた。さらに目を凝らすと、暗闇に次第に慣れていき、やがて姿形がはっきり分かるまでになる。

 そうして、室内にいるその人物が出会ってからのほんの短い間であっという間に相棒、あるいは親友と呼べるまでになった女性だと認識するや否や、緊張に押し殺していた息を吐き出し、そのまま長椅子――どうやら、寝台に辿り着く前に夢の世界へ旅立ってしまったらしい――から起き上がった。

……クロムさん」

「ルフレか。どうした、こんな時間、に……っ?!」

 ぼんやりと立つ影に呼び掛ける声が裏返ったのは、何の前触れもなく抱き着いてきたルフレが、真白い夜着の上に肩掛けだけを羽織った随分な薄着だったからだ。

 さらには、その夜着の作りがまた……何と言えばいいのだろう、背中や胸元が大きく開いていたりするものだから、そう、いささか扇情的に過ぎたので。

「る、るるるるるルフレ……?」

 薄い布越しに彼女の意外なほど華奢な身体の線や、柔らかな膨らみをまともに感じてしまったクロムは、反射的に先日の一件と、その際に事故とはいえしっかりと目にしてしまった彼女の白い裸身を思い返し、瞬時に身体の熱を上昇させた。

 思わず彼女の名を呼ぶ声が上擦る。予想外の事態と、間近で嗅いでしまったルフレの甘い香りに頭がくらくらとしているクロムは、彼女が何故この部屋にいるのかだとか、どうやって入ってきたのかだとか、普段であれば当然疑問に思う筈のことまで思い至らず、ただただ身を強張らせるばかりだった。

……くろむさん……

 対するルフレはと言えば、常にない弱々しい声音でクロムの名を呼ぶと、甘えるようにますます強くその肢体をすり寄せてくる。

 危険だ、とクロムは思った。

 何が危険なのかは分からないが、このままの状態でいては非常にまずいということだけは分かった。

 そろそろと、宙空で中途半端な位置のまま固まってた両腕を彼女の肩に置き、決して乱暴にならないようにと気遣いながらそっと押し遣る。

「ど、どうした? 怖い夢でも見たのか?」

……寒いんです……

………………は?」

 予想外の言葉にクロムは呆けた返答を返すことしかできなかった。その間に、ルフレはますますきつくクロムに抱き着いてしまう。そしてその次に彼女が潤んだ瞳で口にした言葉は、クロムの想像の範囲をさらに超えていた。

「クロムさん……あたためて、くれませんか?」

「なっ……?!」

 それを聞いて、まず真っ先にとある行為――有り体に言えばルフレとの共寝を連想したクロムは、次の瞬間不埒な思考をした自分の頭を鈍器か何かで殴りつけたくなった。

(お、俺は……俺は、ルフレに何てことを……!)

 彼女、ルフレは軍師として自警団に加わってくれた頼もしい仲間だ。

 過去の記憶がなく、素性が知れないことをあれこれ騒ぎ立てる輩もいるが、何を話しても打てば響くように答えが返ってくる聡明さと、屍兵相手でも怯まずに立ち向かう勇敢さ、そして何より冷静に皆を導く軍師としての有能さは代え難いもので。

 共に過ごした時間は短くとも、既にクロムにとって欠かせぬ戦友、あるいは親友になっていた。

 そこにやましいものは一切ない。本当に、一切。

「さ、寒いのは当たり前だろう。そんな格好じゃ……。ま、待ってろ。今毛布、を……っ?!」

 性差を超えた相棒に対して、いかがわしい行為を想像してしまった自分に内心猛省を促しつつ、どうにか平静さを装って彼女から離れようとしたクロムは、だが次の瞬間、いつの間にか床へと滑り落ちていた肩掛けに足を取られ、バランスを崩す。

 となれば、ぴたりと寄り添って離れないルフレも同じようになってしまうのは避けられず。

 先刻起き上がった長椅子に、二人でもつれ合って倒れこむはめになってしまった。

……っ?! す、すすすすすすすまん!!!!!」

 彼女を押し倒す形になってしまい、大慌てで身を起こそうとするのだが、何せルフレが身に纏っている夜着はつるつるとして光沢のある生地だ。

 手を突く度に体重を支えきれず滑ってしまい、その度に彼女へのし掛かる格好になり、そのことがまたクロムの体温を上げていく。

 だがルフレは恋人でもない男に長椅子へ押し倒されても、抵抗することもなくむしろ気恥ずかしそうに頬を染めるだけで一向に拒絶の言葉を口にしない。

 しかもその淡い、不思議な色合いの瞳は、今ひどく熱っぽく潤んでいて、合意の上で彼女とことに及ぼうとしているのだと錯覚しそうになってしまう。

(いやいやいやいやいや!!! ち、違う! 違うぞクロム! ルフレはきっと寝ぼけてるんだ! だから……だか、ら……

 必死に頭を振り、その錯覚を追い払おうとしてみても、薄闇の中、クロムを誘うように薄く開かれた唇に一度視線が絡め取られてしまうと、もう意識はそこから外れてくれなかった。

 ごくり、と唾を飲み下す音がやけに大きく響く。

 クロムの視線を捉えて離さないその薔薇色の唇も、夜着に包まれた白い肌も。何かを訴えるように切なげに歪められた彼女の表情も、何もかも。

 以前、女に見えないとルフレに言ったことがあったが、それを口にした当時の自分に目を開けたまま寝ていたのかと文句をつけたいくらい、今の彼女は何よりクロムに『女』を感じさせた。

 艶かしいその姿に、クロムはふらふらと顔を近付け――――――

 がたん! がたがた! どさっ!

「うおっ?!」

 はっと気が付くと、いつの間にやらクロムは毛足の長い絨毯の敷かれた床と、濃厚な接吻を交わしていた。

 慌てて起き上がり辺りを見回すが、この腕で組み敷いていた筈の彼女……ルフレの姿はどこにもない。それどころか、彼女がこの部屋を訪れたという気配すら微塵もなかった。

「ゆめ、だったのか……?」

 呆然と呟いたクロムは、惜しい、と思ってしまった自分自身に激しく動揺し、長椅子の肘掛け部分へ盛大に頭を打ち付けた。

 一度では足りず、がんがんと二、三度繰り返してみたが、やはりとろりと瞳を潤ませた彼女の熱っぽい表情や、押し倒した柔らかな肢体の温もりは消えず、寝室へ続く扉に脇目もふらず突撃したクロムはそのまま洗面台に用意された手洗へ冷たい水を注ぎ込むと、勢い良くその中に顔を突っ込んだ。

「………………ぷはっ!!!」

 かなりの時間、手洗の中の水へ顔を沈めていたクロムだったが、息が続かず頭を上げて酸素を求め大きく肩を上下させる。だがこれで……と期待したのも束の間、またもわもわと脳裏に浮かんできたのは、夢の中、最後に今にも触れそうになったルフレのふっくらとして柔らかそうな唇で。

……っ、わぁああああああああああ!!!!!!!」

 爽やかな早朝の空気に似合わぬ奇声を上げたクロムは、再び長椅子の置かれた居室の側へと駆け戻り、愛剣を引っ掴むと開け放ったままだった、露台へと続く硝子張りの扉をくぐり抜けると、躊躇いなく眼下に広がる青々とした茂みに覆われた中庭へと降下した。

 ……ちなみに、曲がりなりにも王族である彼の自室が侵入しやすい一階にある筈がなく、それなりの高層に位置している。類まれなる運動神経を持つだけあって難なく着地しているが、これが彼の近侍である騎士に見つかったらまた大目玉だ。

 だがクロムは露ほどもそれを思い返すことなく、広々とした中庭で鬼気迫る表情のままファルシオンを振り始める。

 目下、彼が斬ろうとしているのは大切な相棒、親友たるルフレに、夢の中とはいえ不埒な行為に及ぼうとしていた自分の煩悩であった。

(俺は……俺は……ルフレのことをあんな目で見ていたのか? いや違う! あいつは俺の軍師で、相棒で、大事な仲間で、それから……それから……! そ、そう! 家族! 妹みたいな存在なんだ! だからあれは何かの間違いで……!)

 しかし間違いなく、あのまま目覚めなければルフレからの抵抗がないのをいいことに、しっかり最後まであの邪魔な夜着を取り去って、甘やかな肢体を味わい尽くしていただろう。

 そして、夢から覚めてもなお、クロムは彼女に対しはっきりと情欲を覚えている。

「ち、違う! 違うんだ!! 俺は……俺はっ!!!」

 いつの間にか滴り落ちるほどになった汗でじっとり濡れた手から、大きく振り下ろした勢いのまま愛剣が抜け出て、近くにあった木に深々と突き刺さる。反動を殺しきれず、たたらを踏んだクロムはそのまま地面にへたり込む。

……ど、どんな顔をして今日からルフレに会えばいいんだ……!)

 ようやく訪れた遅すぎる春に、それが恋だとも気付かないまま翻弄されるクロムには、後世、神剣の英雄と讃えられる威厳や貫禄は欠片もなかった。

 

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