知らない方がいい真実もある - 1/3

 聖王(正確には代理だが)クロムは悩んでいた。
 常に鍛錬を欠かさず鍛え上げられた逞しい腕をああでもないこうでもないと組み替え、しなやかに伸びた長い足を忙しなく動かして天幕の中をぐるぐると歩き回り悩んでいた。
 目下、海を越えて攻め寄せる帝国軍へ対抗するために、ヴァルム大陸へ渡る準備を進めている最中であるが、彼の悩みの種は戦に纏わることではない。
 そういったことなら彼の優秀な軍師にして最愛の妻、ルフレが持てる知略を駆使して最善の策を献じてくれる。細々とした兵糧の準備や不足している武器の補充も彼女なら完璧だ。
 第一、相手とぶつかる前に思い悩むのはクロムの性分ではない。彼の軍師と、仲間たちと、自分を信じればよいのである。
 だから、クロムの悩みは目前に迫った帝国軍との戦いのことではなかったが、それ以上に今の彼にとっては深刻かつ重大だった。

 聖王代理クロム。ペレジアとの戦でイーリスを勝利に導いた英雄。
 彼の悩みの種は、娘のルキナの一言に始まる。といっても、先だって生まれたばかりの白く小さな歯も生え揃っていない娘ではない。
 邪竜ギムレーが復活し世界が暗闇で覆われたという絶望の未来。今のクロムたちも辿りえるかもしれぬというその未来から、絶望に至ることを回避する為に時代を超えて現れた未来のルキナである。
 当初は仮面を被って正体を隠し、伝説の英雄王と同じ名――マルスを名乗っていたが、船を借り受ける為ペレジアとの会談に臨んだ帰り道に受けた襲撃でクロムを庇い、未来から来たあなたの娘だと告げたのである。
 城にいる筈の小さな<ルキナ>と同じ左目に浮かぶ聖痕と、腰に佩いた、クロムのものよりも些か使い込まれたファルシオンが何よりの証拠だった。

 いきなり成長して現れた娘に当初は驚きと戸惑いを隠せなかったクロムだったが、お父様と純粋に慕われて絆されないわけがない。
 クロムが女性として誰より何より愛してやまないのは妻であるルフレだけだが、今ではもうひとりの娘のことも家族として深く愛していた。
 男装を解き長い髪を靡かせて陣中を歩く、親の欲目を除いても美しく成長した彼女へ粉をかけようとした男たちに、睨みをきかせあるいは鍛錬でしばらく再起不能になるまで叩きのめすくらいには、だ。
 だからその華奢な身体と小さな手で絶望の未来で戦い続けてきた愛娘に、何か贈ってやりたいと思うのも親心だろう。
 折よくクロムたちはフェリアの港町にいる。交易で栄えるペレジアには劣るものの、外来の品物が入ってくる市場は品揃えが豊富だ。何でもいい、欲しい物はないかと出航の準備の合間ルキナに尋ねたところ、ひとしきり恐縮したがクロムに強く促され――よりにもよって「お父様とお母様の馴れ初めが訊きたいです」などと宣うたのだ。

「い、いや、そんなものより装飾品だとか、何か身の回りのものがいいんじゃないか? 本当に遠慮なんてしなくていいんだぞ? お前のためならいくらだって……」
 軍資金も含めて金の管理はルフレがしているので、実はクロム自身に細かい裁量はないのだが、そこは娘の前である。いかにも自分が買ってやると言わんばかりに威厳を持って告げようとしたのだが、ルキナはゆるゆると首を振った。
「いいえ、お父様。未来では、こうしたお話をする前にお二人と別れてしまいましたから……少しでもお父様とお母様のことが知りたいんです」
 そう言って花がほころぶように笑った彼女は文句なしに愛らしく、さすがは俺とルフレの娘と感じ入りそうになったが、ルキナの『おねだり』はクロムにとって可愛らしいの一言で済まされるものではなかった。
 馴れ初め。ルフレとの、馴れ初め。
「……………………」
「お父様?」
 冷や汗をだらだらと流して黙りこんでしまったクロムに、ルキナは不思議そうな顔をしてこちらを見上げる。純粋そのものの濃紺の瞳に見つめられ、かつてこれほど進退窮まったことがあっただろうかと天を仰ぎたくなった。
「そ、その……なんだ。少し、心の準備が、な」
「まあ!」
 しどろもどろになって弁解すると、何を思ったのか彼女は顔をきらきらと輝かせた。
「よっぽど劇的なお話なんですね?! それでしたら後で構いません。準備ができたら仰って頂ければいつでもマークと一緒に参ります!」
 楽しみにしていますね、と勝手に納得してルキナは笑顔で去って行った。その後姿はひどく楽しげで、鼻歌まで歌い出しそうだ。彼女を楽しませているのがこの件でなければクロムも微笑ましく思っただろう。
 彼女の後ろ姿が見えなくなると、辛うじて保っていた父親の威厳をかなぐり捨て、クロムはその場を脱兎の如く駈け出し自分の天幕に舞い戻った。

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