素性の不確かなルフレを、エメリナが暗殺され、イーリスの主となったクロムの妃として迎え入れることに難色を示した勢力は、未だに国内でくすぶっている。
子を産むのは、女だ。
だから古来より、権力に群がり甘い蜜を吸おうとする者たちは、時の権力者に自らの娘や、時には妻まで差し出して、権力者の血筋に、自らのそれを混じらせようとしたのである。
ここイーリスでもそれは同じで、年頃の娘を持っていた貴族たちの幾人かは、実際にそういったことを目論んでいたらしい。そこに何処の馬の骨とも分からないルフレが現れ、いきなりイーリスの女主になってしまった――しかも、クロムはルフレだけを唯一の妻と公言し、側室の勧めを突っぱね続けている――のだから、彼らの反発も無理からぬ話かもしれない。
だが、飽きずに嘲笑や嫌味をぶつけられ続けるルフレにとっては迷惑なことこの上ない。
もちろん、大半の者はルフレに好意的だし、民はペレジアとの戦をクロムと共に勝利へ導いた立役者として、流れ者の王妃を支持してくれている。だからそういった悪意を向けてくるのはごく一部だ。
それに、ルキナの乳母や侍女は、クロムが最も信を置いているフレデリクが選び抜いた人間しかいない。幼い王女の耳に、わざわざあなたの母君が悪意に煩わされている、などと吹き込むはずはないのだが。
おそらく、ルキナは冒険と称して城内を歩き回るのが好きなので、そこかしこで交わされる噂話を自然と拾い集めてしまったのかもしれない。
活発なのはいいことだけれど、危険な密談の現場にでも遭遇してしまったらことである。密かにつけている護衛に、決して目を離さないよう改めて念を押しておかなくては。
「何でもありませんよ、ね?」
脳内の書き付けにしっかりそう記した後、ゆるゆると首を振り否定しても、ルキナは余計に眦を吊り上げるだけだった。
「なきねいりはだめです! おかあさまをいじめるひとはるきながやっつけてあげます!」
舌足らずだが、懸命に言い募る表情は真剣そのものだった。心から、ルフレのことを案じてくれていることが分かる。
気付かぬ内に、息を詰めていた。終わりのない不安に押しつぶされそうだった心が、温かなもので包まれる。
(ああ、なんて…………)
なんて、クロムに似ているのだろう。
深い藍色の髪や瞳はもちろん、正義感が強くて優しいところも。
こうして、ほんの僅かな言葉でルフレの心を掬いあげてくれるところも。何もかもそっくりだ。
視界が滲むとともに鼻の奥がつんとして、思わずルキナを抱きしめた。
(ルキナ、ルキナ、クロムさんと私の娘……私の大切な……)
起毛した生地の寝間着越しに伝わってくる幼い子供特有の体温の高さが、とても心地いい。
「おかあさま……?」
「大丈夫ですよ、ルキナ。お母様はね、お父様がしばらくいないから寂しかっただけなんです」
「……そう、なんですか?」
「ええ。だから、寂しくないように今日はルキナが一緒に寝てくれますか?」
腕を離し、ぷくぷくとした頬をちょんとつついて柔らかく微笑めば、厳しかったルキナの顔が輝いた。今度はきちんと笑えていたらしい。
「えへへ、おかあさまとマークといっしょです!」
はしゃぐ娘を抱き上げつつ、呼び鈴を鳴らし続き部屋に待機していた夜番の侍女を呼ぶ。
常におっとりして何事にも動じないルフレ付きの侍女は、いつの間にか主人の腕に抱かれている幼い王女殿下の姿にも驚かず、「あらあら、姫様ったらまたお部屋を抜け出していらしたんですねえ」と鷹揚に微笑むだけだ。
「夜中に覗いて、姿が見えないと慌ててしまうでしょうから、あちらに知らせを出してもらっていいですか?」
ルキナが両親の寝台へもぐり込むのはよくあることだが、それでも主人の姿が見当たらず、何の知らせもなければ心配させてしまうだろう。
ルフレの頼みをら引き受けた侍女は、微笑ましそうにしながら下がり、寝室内には再び二人――いいや、三人だけになる。
「まーく、きょうはおねえさんがいっしょですよ。こわくないようにまもってあげますね」
「ふふっ、頼もしいですね」
お姉さんぶって、しきりに膨らみ始めたルフレのお腹へ向けて語りかける娘と一緒に、寝台に横たわる。甘えるように抱きついてくる小さな体を毛布でくるみ、あやすように頭を撫でてやりながら、額に口付けをひとつ。
「……お休みなさい、ルキナ。良い夢を」
そうして、祈る。
――――願わくばこの先ずっと、あなたたちが悪夢にうなされることのないように。
※コメントは最大1000文字、5回まで送信できます