後からマークも加わって、もみくちゃにされ最後は笑い泣きのようになっていた姉は目尻の涙を指先で拭うとすぐに表情を引き締めた。それを見て、マークもルキナに倣う。
この最深部でファウダーは両親を待ち構えていた。絶望の未来、そして母が繰り返し見ていたという夢と同じように母が父をその手で殺し、邪竜と化す運命をこの世界でも再現するために。
そしてギムレー教の教主でもあるあの男は、運命の再来を露程も疑っていなかった。であるとするならば、教団の力を結集したこの神殿をファウダーが捨てて何処かへ逃亡するということは考えにくい。深手を負った男は必ず、神殿内のどこかにいる筈だ。
母もそれは同じ考えだったようで、優しく弧を描いていた口元を引き結ぶと父へ向かって「ファウダーを追いましょう」ときっぱり告げた。マークもルキナも頷く。ひとまず、別れてしまった仲間達と合流しなくてはならない。
始め、この最深部に到達すると不可思議な力で両親と分断されてしまった。他の仲間達と姉弟の前に大写しになる二人の姿。おそらく、父が母に殺されるのを見せつけ皆の戦意を削ぐのが目的だったのだろう。
その中でもとりわけ姉を絶望させたかったらしく、いよいよ運命の瞬間が訪れると彼女の足元が歪み床下へ引き摺り込んだ。近くにいたマークが咄嗟にルキナの手を掴むと、マークも一緒にこの場所へ飛ばされたのだった。
だが母の言葉に、父は憮然としたまま口を開かない。マークは意外な思いがした。この場でファウダーを最も追いたいのは父の筈だ。妻を、娘を苦しめた男。そして姉のエメリナを死に追いやる為暗躍した男。転移の術で逃げなければ、あのままファルシオンはファウダーを迷いなく刺し貫いていただろう。
だというのに、何故。母も疑問に思ったのだろう、呼び掛けようと口を開き――だが父の名を呼ぶ前に悲鳴に取って代わられた。
「きゃっ?! く、クロムさん??」
父が有無を言わせず母の身体を抱え上げたのだ。予告なしの動作だった為に母には抗う間もなかった。ぱさりと懐に収めていた魔導書が落下する。マークも姉も、母と同じく目を白黒させていると小さく、だがきっぱりと父は告げた。
「……お前はもう前に出るな、ルフレ」
「「えっ?!」」
ルキナとマークの声が綺麗に重なる。一方の母は驚いた様子はなく、ただ戸惑ったように「クロムさん……」と自分を抱き上げたまま離そうとしない父の名を呟くばかり。対する父は眉根を寄せ低い声音で言葉を紡ぐ。
「俺が気付いていないとでも思ったのか?」
「……父さん?」
「どういうことですか、お父様? お母様に何か……」
「……マーク、その魔導書を取ってくれるか」
「え、これですか?」
答えのないままに請われ、マークは釈然としないながらも床下に落ちたままだった魔導書を取った。持たせてやってくれと言うので、母に手渡す。何処かぎこちない手つきで受け取る母の様子に、普段と違うところはないかと探すが……よく分からない。いくらか顔色が悪い気もするが、あれだけの激戦の後なのだ。それも自然のように思う。
「ルキナ、この魔導書を叩いてくれ。軽くでいい。……ルフレ、落とすなよ」
「……? お父様がそう仰るならやりますが……」
父の指示は何が何やら分からない。落とすなよと母には言っていたが、眠っているのならともかく、起きている人間が持つ物が軽く叩かれたくらいで落ちる訳が――――。
「「え……?」」
また、姉弟の呆然とした呟きが重なった。マークは信じられない思いで再び床と激突して乾いた音を立てる魔導書を見遣る。姉も信じられないようで自分の手と、床に落ちた物を見比べて呆然としていた。
マークから見ても、ルキナは本当に父に言われた通り、叩くというよりはむしろ触れるくらいの勢いで母の持つ魔導書を押したのだ。通常の力で握っていれば到底落ちることは考えられない。それなのに魔導書は何の抵抗もなく呆気なく落下した。
「満足に力も入れられないくせに、戦える訳がないだろう」
「そ、それは……!」
「え? え? 父さん、どういうこと? 母さんどうしちゃったんですか、って……まさか、あの時?!」
小さく叫んだマークに父が頷く。
あの時。未来と同じように母が魔力の凝った剣で父を刺し貫いたと思われたあの瞬間。
実際は、ファウダーの支配に抗した母が力を弱めたのだと言っていたが――もし、魔力を弱め切れず、けれども父に傷を負わせぬようにしたのだとすれば。
「まさか、ご自分に……?」
「ああ。咄嗟に、力を逆流させて自分で雷撃を受けたんだろう。動きがぎこちないからおかしいと思えば……まったく」
「で、ですけど! そうしなければクロムさんの方が無事では済みませんでした! だから私は、」
「だからといってはいそうですかと納得できるか!!」
「……っ!」
父がこうまで母に対して厳しい表情で声を張り上げるのは珍しい。びくりと震えた母を一際きつく抱くと今度は懇願するような口調になって囁く。
「……俺の代わりにお前が傷付いて、それで俺が喜ぶと思うのか?」
「…………ごめんなさい、クロムさん……。でもファウダーは……父は、私がこの手で斃します」
「ルフレ――――」
「これは私のけじめなんです。そうでなければ私は一歩も前に進めない……。だから、お願いです……!」
必死になって訴える母の、その眼差し。それを見てマークは父の敗北を悟る。この眼をした母に父が勝てた例はない。ともすれば儚げでか弱くも見える母は、その実ひどく頑固なところがあるのだった。一度こうと決めれば誰が何と言おうと譲らない。
果たして、しばらく無言で見つめ合った後、先に折れたのはやはり父だった。深く、深く嘆息すると腕の中の華奢な身体を抱き直し、指揮官の顔になってマークとルキナの方を見た。
「……ファウダーを追う。先鋒は任せていいな? ルキナ、マーク」
「はい、お父様!」
「勿論ですよ、任せて下さい!」
「殿(しんがり)は……」
「あたし達に任せな。安心して前だけ見て進めばいいさ」
「フラヴィア」
「おうともよ。クロム、お前さんはルフレを奴の前まで送り届けることだけ考えてな!」
「バジーリオ……。感謝する。行くぞ! ルフレ、しっかり掴まっていろ!」
返答の代わりに、母は父の首に腕を回し精一杯の力で抱き着くことで応えた。
マークは床の魔導書を拾い上げしっかりと懐にしまい込むと、炎の最上位魔法が宿った己の魔導書を取り出す。ルキナも鞘に収めていたファルシオンを抜き放った。視線が合わさる。言葉を交わさずとも、互いに何を考えているのか分かる。
(運命は変わる……変えられる。僕達の手で。そうですよね、ルキナさん……姉さん)
そうして変化した運命の先を新たに歩んでゆくのは自分達だ。それはもう運命ではなく、自分達の手で選び取った現在。希望へと続いていく明日。たとえ自分達にとって、祖父と呼ぶべき男の死の果てにあるものであっても。
短くだが力強く頷き合うと、まずは他の仲間達と合流すべく壁の篝火だけが照らす薄暗い回廊へマークは姉と共に足を踏み出した。
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