花盗人、二人

 しかし女というのは、短期間でこうも変わってしまうものなのか。

 目の前でこの辺り一帯の地図を机上に広げ、木片を削って作った駒を動かしては、茶々など挟みようもない真剣な声音で説明を続ける軍師を見下ろし、グレゴは内心感嘆する。
 軍師と言っても、持ち運び可能な簡易机の反対側に立つのは女性だ。しかも相当若い。傭兵として数々の戦場を渡り歩いてきたグレゴだが、偏見だという世の女性からの非難を恐れずに言うならば女の軍師など大抵は軍主や、軍の要人の『お気に入り』であって、行軍中でも自分の女を天幕に連れ込む体の良い口実でしかないことが多い。
 見目ばかりは良い彼女等は実力など欠片も期待できず、そんな軍師を侍らせる依頼主であったならハズレだ。それがそう短くはない彼の戦場での経験で培った教訓である。
 しかし、マムクートの少女――実際は相当な年らしいが、言動は幼い子供そのものだ――を助けたことが縁で所属することになった、このイーリス軍の軍師ルフレは本物だった。
 記憶喪失で倒れていたところを、当時は王子であったクロムに拾われたらしい彼女はまるで戦場全体を俯瞰できているかのような恐ろしいまでの戦術の冴えを見せる。今こうして木製の駒を自軍と敵軍に見立て、数日後の作戦行動を地図上で滔々と語る様も、軍主に体で取り入った訳ではないことを示すのに十分過ぎるほどだ。
 だがそれにしても――――。

「グレゴさん。私の説明、きちんと聞いてくださっていますか?」
「おお? 悪い悪い、どこまでいったっけな」
 身を入れて説明を聞いていないことに目敏く気付いたルフレが柳眉を逆立てるのを、頭を掻いて早々に詫びることでやり過ごそうとするが、そう上手くはいかなかった。説明は一旦中断され、しばしがみがみと手厳しいお小言が続く。
 以前ならば年長者の余裕というやつで、彼女に叱られても自分の娘に言われているようで微笑ましさが先立ちにやにやと笑って聞いていられたものだ。しかし近頃はどうにも調子が狂う。

(なんつーか、あっという間に女っぽくなっちまったなあ……)

 以前のルフレは性別は女であっても、周囲にそう思わせないところがあった。一度戦術書に没頭し始めれば寝食を忘れ、普段も自分の身なりにあまり気を使わず、若く娘らしい肢体を野暮ったい軍師服の下に隠していて、女の色香、といったものとは無縁だったのだ。
 だというのに今、飽きもせず小言を紡ぎ続ける瑞々しい唇、緩められた襟元から僅かに覗く白い肌、細く折れそうなうなじ、ふとした瞬間の艶っぽい仕草。グレゴの目に映るありとあらゆるものが彼に『女』を感じさせる。
 既に好い仲になった相手がいるグレゴでも、つい視線が引き寄せられ魅入ってしまうくらいには、最近のルフレはがらりと変わった。
 まるで、頑なに閉じられていた蕾が一気に花開いたように。

(問題は……花を開かせたのは誰か、か)

 否、むしろ誰の為に咲いたか、だろうか。
 ルフレに恋人ができたという噂は聞かない。傭兵という職業柄、些細な噂にも敏感なグレゴの情報網にも引っ掛かってこないということは、本当に恋人など存在せず、こちらの思い過ごしなのか。
 だがこの匂い立つような艶めかしさは明らかに、男を知った女のものだ。
 その所為、なのかは分からないが、ここしばらくイーリス・フェリア連合軍の軍主であり、彼女を『半身』だと公言して憚らないクロムの機嫌は大層悪かった。元から弁舌さわやかというよりは、ぶっきらぼうなきらいはあったものの相当ぴりぴりしていて、些か近寄り難い。
 そしてルフレは、未来から来たというクロムの娘が疑念を抱かずにはいられないほど親密だった半身を避けているようでもあった。その代わりに――――。
 
「……ルフレ」
 たった一語にも気遣わしさを滲ませた低い声と共に天幕の入り口が開かれた。クロム、ではない。声はほとんど同じであっても彼ではあり得ないものを、天幕に入って来た男は身に着けている。
 顔を隠す仮面。素性を隠す利点などクロムにはないし、引き締まった体躯も彼より鍛え上げられて成熟した男のものだ。しかしその男を、ぴたりと小言を収めたルフレは「<クロム>さん、偵察お疲れ様でした」とやわらかい、けれどどこか甘さを含んだ笑みで迎える。

(あのクロムが、コレになるっつーのは……。まあ、年月の力は偉大、ってことなのかねえ)

 男はこの軍の軍主クロムではないが、未来から来たという、やはりもうひとりの<クロム>だった。すべての戦に勝利し、各地の混乱を平定して聖王国を長年治めたという男はしかし、彼が体験した未来のことをほとんど語っていない。
 ただ、半身であるルフレを守る為に時を超え、過去までやって来たのだということしか。
 軍主と同じ顔の人間が二人いては混乱を招くとして、男の存在は軍の中でも一部の者にしか知らされていなかった。だからという訳でもないのだろうが、この<クロム>は守ると宣言したルフレの側に影のように控え、離れようとしない。
 ただ、最近ではルフレの頼みで斥候や偵察を務めることが時折あった。今回もそうなのだということが、彼女の発言で分かる。グレゴが生返事で聞いていた作戦で、敵軍と遭遇する予測地点周辺と、敵軍の状況を確認してきたのだろう。
 単独行動の際、万一敵と遭遇しても悠々と切り抜けられるだけの実力が、未来の<クロム>にはあるのだから。
 そんなことをつらつらと考えていると、ふいに<クロム>と視線がかち合う。いや、かち合うなどといった生易しいものではなくて、斬り付けられたかと思うような鋭さだ。これが剣での立ち会いであったら、あっという間に昇天していた。
 そうまで敵意を向けられる言われはない、と思いかけてルフレのことかとすぐに気付く。
 別の女性を妻に迎えたクロムに対し、未来から来たこの男は異様なまでにルフレに執着していた。彼女の生命の危機を避けようとするのは勿論のこと、他の男――それがたとえ過去の自分であっても――が彼女に触れる、或いは視線を向けようとするだけで凄まじい殺気を放つのだ。
 大方今も、そう広くはない天幕の中でルフレと二人きりでいたグレゴを牽制しようとしているのかもしれない。

(そんなおっかねー顔すんなって! こっちにはもうべっぴんな嫁さんがいるんだからよ!)

 仮面の奥の青い瞳をしっかり見返して視線で抗議する。すると一瞬すっと細められた後、肌が思わず粟立つような殺気はようやく収まった。ほうと肩の力を抜くグレゴと、黙ったままの<クロム>をしきりに見比べているルフレは、何が何やら分からないといった顔だ。
 しかしそんな表情ですらそそるのだから、以前が以前なだけに何が……誰が彼女をここまで変えたのか、『女』にしたのか疑問は深まる。
 そうこうしている内に、ひとまずは視線を外してくれた<クロム>は落ち着いた口調で偵察の結果を報告していた。頷くルフレを見つめる眼差しは、仮面を被っていても少し離れた立ち位置にいるグレゴにすら分かるほど優しく、愛しい女に向けるとろけるような甘さを滲ませている。
 多少の年齢の差異はあれど、今のクロムと同じ顔でそんな表情をするものだから、随分居心地が悪い。彼はれっきとした妻帯者だ。そしてその妻はルフレではなく、故に不貞の現場を目撃してしまっているような気さえする。
 更にグレゴが気まずさに目をそらそうとしたその時、どういう流れだったのか、<クロム>がぽん、とあやすような宥めるような仕草でルフレの頭を撫ぜたのだ。一見すれば子供扱いともとれる行為に、彼女はしかし仄かに頬を赤らめ切なげに男を見上げる。
 それはほんの僅かな間ですぐに消えてしまったのだが、それを見て、ひどく嫌な予感が心臓を鷲掴みにした。

(おいおいおい、まさか、まさかのまさかってやつか?)

 周囲が皆、将来を言い交わす相手を見つけていく中、半身たるクロムが妻を迎えても頑なに独り身を貫いていたルフレ。ある時、『てっきりお前さんはクロムの奴と結婚するんだとばかり思ってたぜ』と冗談めかして告げた時の彼女の態度を思い出す。今考えれば、あれは随分と不自然だった。
 あるひとつの可能性に行き当たり、グレゴは愕然とした。もしもルフレがずっとクロムを、己の半身である男を想っていたのだとしたら。けれど何らかの理由で誰にも告げず、身を引いてしまったのだとしたら。
 だとすればこれまで女を感じさせない、むしろ敢えて女であることを殺していたようだった様子も理解できる。
 しかしそれならば今のこの状況は……かなり、危ういのではないだろうか?
 頑なに蕾のままだった彼女を艶やかに花開かせた<クロム>。
 ある時期を境として急速に『女』の色香を漂わせ始めた半身に、何故か奇妙に苛立ちを見せているクロム。
 ルフレが恋しているのはどちらなのか。
 彼女の花を手折ったのは<クロム>でも、それに異様に気を高ぶらせているクロムは、ルフレのことを本当にただの相棒としてしか見ていなかったのか。その苛立ちの奥底にあるのは、もしかしたら。
 ひとりの女が恋う男が、二人いる。その歪な状況がもたらしかねない不穏さを思い身を固くするグレゴの背を、天幕の隙間から入り込んだ風が冷たく撫でていった。

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