己を犠牲にして世界を救った後、どれほど待っても戻らなかったルフレを取り戻す為過去に飛んだ彼は、そこでようやく愛しい半身を手に入れることができた。
意識を失って眠りに落ちる寸前呟かれたくろむさん、という小さな小さな囁きがどちらのクロムを呼んだものかなどこの際どうでもいい。彼は今深い喜悦を覚えていた。
既に自分ではない女を妻に迎えた男への赦されない恋情に苦しみ、その男をいつか己の手で殺めるかもしれないという連日の悪夢で疲弊した心の間隙、最早ひとりでは堪え切れぬほどに弱り切った精神に付け込んだ卑怯なやり口であるとは理解していたものの。それでも、罪悪感や後ろめたささえ凌駕するほどに悦びに打ち震えているのだ。
「……ルフレ」
一度喪うまで、自分の本当の想いに気付かなかった誰より大切な女性の名を甘く囁き、彼――<クロム>は年月を経てより精悍さを増した顔立ちに蕩けそうな笑みを浮かべ、腕の中穏やかな寝息を立てる女の髪を梳いた。
眠るルフレの表情は安らいでいて、先日までの悪夢の気配は微塵もない。彼女の安らかな眠りの番人を務められたことに安堵する。取った手段は些か乱暴であったかもしれないが、人肌の温もりというのは夢見を良くする何よりの手段であるようだ。
やっと訪れたであろう優しい眠りを妨げないよう、慎重に慎重に、一方は華奢だとはいえ大人二人の体重を受け止めるには頼りない、行軍用の簡易寝台から抜け出す。おそらくその際に早朝、というよりはまだ夜明け前の冷たい空気が肌に触れてしまったからなのだろうが、ふるりと震えた彼女がまるで引き止めるように彼に縋ったので、<クロム>はまたうっそりと笑みを漏らした。
「俺はどこにも行かないさ、ルフレ」
告げて、溢れる愛おしさを堪え切れずに、昨晩何度も甘美な音色を奏でた瑞々しい唇を食む。歓喜と共に思い返すのは、一度確かに味わった、己の半分をもぎ取られる恐怖。もうひとりの『彼女』を喪った記憶。あの時の絶望は、今でも彼の中にくっきりと刻み込まれてしまって消えない。
今度こそ、運命を変える。その為に自分は何もかも捨てて過去へ来た。ルフレを守る、それだけを己の存在意義として。
「俺はお前の側にいる。だから……お前も、俺を置いていかないでくれ」
祈るように、懇願するように吐き出された囁きは、二人きりの天幕の静寂の中に呑まれて消えた。
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