王子と軍師のとある一日 - 2/2

 数日ぶりに空に輝いた明るい太陽の下、聖都は大勢の人であふれ、賑わいを見せている。クロムは心地の良い風に吹かれながら、何とはなしに急ぎ足で自警団の詰所を目指していた。
 女王として多忙な日々を送る姉、エメリナほどではないものの、成人して数年経つクロムにもそれなりに王族としての執務はある。書類仕事は苦手だが、少しでも姉の手助けになれることがあるなら、苦手だのなんだのと言っている訳にはいかない。
 というわけで、ひと仕事終えたクロムが城を出られたのは昼近くになってからだった。
 実質的な運営は副長のフレデリクが受け持ってくれているから、団長である彼が毎日詰所に顔を出さないといけない理由はない。
 実際、まだ暖炉の火が絶やせなかった冬の頃までは、週に一日か二日は予定が詰まってしまい、城下へ降りることができなかった。
 しかし今では、どうにか時間を作って、少しでも自警団に足を運ぶようになっていた。ある人物と言葉を交わすためだ。
 その理由を、妹のリズ辺りは勝手に勘違いをしてからかってくるが、心外である。

(あいつを自警団に誘ったのは俺なんだから、俺はあいつの保護者みたいなものだ。うまく馴染めているか様子を気にするのは当たり前だろう。長くイーリスにいるのは初めてのようだし、本人が気づかないところで不調を溜め込んでいる場合もあるからな、よく見ていてやらないと)

 あいつというのは、数ヶ月前に賊の襲撃を受けていた国境付近の村で出会ったルフレという娘のことだ。
 母親と死に別れてからひとりで旅をしていたという彼女は、戦の指揮や戦術の組み立てに関して得難い才能があった。
 どこかの国に仕官をしたことはないそうだが、なかなかどうして、用兵家としても、魔道士としても優秀、剣も多少は使える、と常に人手不足の自警団には喉から手が出るほど欲しい人材で、渋る彼女を説得し、期限付きで軍師として加わることを了承してもらったのだ。

 クロムやリズが王族だということに随分驚いていたルフレは、城内にある客室の一室を提供するというこちらからの申し出を固辞して、自警団の建物内で寝泊まりしていた。
 すれ違う団員たちからの挨拶に応えながら目指す部屋に辿り着き、扉を叩いたが返事がない。クロムは首をひねった。
 ルフレは一人旅が長かった所為か、それとも他に理由があるのか、敢えて周囲の人間と隔たって、距離を置いているようなところがある。人当たりはそう悪くないのだが、逆に積極的に親交を深めようとはしない。
 だから大抵、詰所の中にいることが多い。ここまで来る途中ですれ違わなかったのだから、部屋にいると思ったのだが……
――――お兄ちゃん!」
「ん? ああ、リズにマリアベルか。それと……
 聞き慣れた呼び掛けに振り返れば、廊下の先には三人の人物が立っていた。内二人は確かめるでもなく、妹のリズとその親友のマリアベルだ。
 さらに、二人の後ろに隠れるようにして恥ずかしそうに俯いている娘に視線を合わせた瞬間、クロムは心臓が音を立てて跳ねたのを感じた。
 裾に共布の控えめなフリルがついた、白い涼しそうな素材の……確かアフタヌーンドレス、という貴族女性の訪問着に身を包んだ彼女は、何かクロムの目を惹きつけて離さない不思議な雰囲気があった。
 手首の部分と同じ、繊細な刺繍のレースがついた襟元からほっそりとした白い首筋が伸びている。月の光を集めたような銀の髪は結い上げられ、後れ毛がまばらに首筋へこぼれているのが何とも言えなかった。
 面を伏せているために、顔立ちなどはよく分からない。ただ、無性に彼女の瞳に自分が映るのを確かめたくて堪らず、クロムは唐突に沸き起こった不可解な衝動を奥歯を噛んでぐっと耐えた。
 途中で口をつぐんでしまった兄に、リズが不審げな表情で何か言おうとするのに気付いて、軽く咳払いをして誤魔化す。
「ごほん。あー……見ない顔だが、友達か、リズ?」
 言うやいなや、その場に微妙な空気が流れた。妹とその親友の面には、何か別の結果を期待しながらも半ばそうなるだろうと諦めていた予測が、やはり的中してしまった呆れと、してやったりという得意げな様子が交互に表れては消えていった。
……何言ってるの、お兄ちゃん。ルフレさんだよ?」
「何っ?!」
 絶句したクロムの方へ、マリアベルが小さく縮こまってさらに後ろへ隠れようとする、ほっそりした身体をずずいと押し出した。
 信じられない思いでしげしげと顔を覗き込む。女性には礼儀正しく、と幼少時から教育されてきたから、普段はこのような不躾なことはしないのだが。
 この数ヶ月慣れ親しんだ黒いローブ姿とはあまりに印象がかけ離れていたので、にわかには信じがたかったのだ。
 けれど、確かに瞳の色は彼女のもので、目は大きく見えるし、肌も記憶にあるものより白いから薄く化粧をしているのだろうけれど、顔立ちもよく見れば同じだった。
……ルフレ、なんだよな?」
「そう、ですけど……。あの……あまり見ないでください……
 それでも完全には納得しきれない頭が紡がせた質問には、間違いなくルフレの声で応えが返される。いつもは落ち着いていて、せせらぎのように涼やかな声なのだが、今は社交界に出たばかりの内気な娘のように小さく掠れていた。
 これではもう、疑いようがなかった。リズに、今から新しいお友達と内輪のお茶会を開くんだ、と言われても、そこに混じっていて違和感がない、目の前の淑やかで花のような彼女は、いつもくたびれ気味の黒いローブを羽織っていて、娘らしい装いとは縁遠そうなルフレと同一人物なのだ。
 クロムは大いに混乱していた。また、先ほど自分を瞬間的に支配した奇妙な衝動を思い出して、決まりが悪くもあった。
 そんな彼の内心を知ってか知らずか、マリアベルがにこりと、これ以上ないというくらい満面の笑みを浮かべ優雅に、優雅に口を開いた。
「いかがですかしら、クロムさん。女は変わりますでしょう?」
 その発言の裏に込められた意図を悟り、クロムは何故、突然妹たちがルフレにこのような装いをさせたのか理解した。
 数日前、『ルフレさんは素材がいいのですから、手をかければそんじょそこらの娘じゃ太刀打ちできないのに、もったいないですわー!』とリズと二人で騒いでいたところにたまたま通りかかったクロムが、うっかり『そんなに変わらないんじゃないか?』と口を挟んでしまったのである。

(すまん、ルフレ。俺のせいだ……

 慣れぬ衣装を着させられて、身の置きどころがないような様子でいるルフレに心の中で謝罪しつつも、やはり彼女から目が離せないクロムなのだった。

 *

 さて、所変わってここは自警団の詰所の門前である。クロムはちらりと、半歩後ろにうつむき加減で立っているルフレを盗み見た。
 彼女は未だにリズたちに着せられた服のままで、今にも駆け戻ってすべて脱ぎ捨てたそうな様子でいる。
 それをしないのは、ある程度の時間が経つ前に詰所へ戻れば、待ち構えているリズとマリアベルに問答無用で再び放り出される未来が容易に想定できるからだろう。
 クロムも、原因が自分にあるので何とかしてやりたいとは思いつつ、今のあの二人に真っ向から逆らえるとは到底思えなかった。
 
(まあ……適当にその辺をぶらついて、しばらくしたら帰ってくればいいんだ。そう構えることもないだろう。……どうにも落ち着かんが、ルフレはルフレだ。中身が別の人間に変わった訳じゃない)

 繰り返し言い聞かせても、気を抜くとまた妙な衝動がクロムを捉えようとするので困ってしまう。
 ルフレの方でも動かないから、これでは埒が明かない。まだろくに聖都を回っていないルフレを案内するように、との厳命を受けたので、とりあえず『案内』と言えるだけのことはしておかないといけないだろう。
 クロムは覚悟を決めて大きく息を吸った。
「あー……それで、どこか行きたいところはあるか?」
………………どこにも行きたくありません。部屋に戻りたいです」
「おい」
「だってクロムさん、私のことが分からなかったじゃないですか。それくらい変なんです。似合っていないんです。だからこんな格好で街なんて歩きたくありません」
「いや、それはだな……
 反論しかけて言葉に詰まる。何と言ったものだろうか? 確かに、がらりと変わった彼女の外見にクロムは戸惑っているが、悪い印象はない。それよりむしろ――――
……クロムさん?」
 呼び掛けられてはっとした。やけにルフレの顔が近くに見えると思ったら、いつの間にかクロムは一歩距離を詰めて、無意識の内に左手で彼女の頬に触れていたのだ。
「っ?! す、すまん!」
 慌てて手を引っ込めたが、白粉のさらさらとした感触と、髪を纏めるのに使った香油か何かなのか甘い、いいにおいが離れても感じられる。
 やたらと早く鼓動を刻み始めた心臓を誤魔化すように、早口で畳み掛けた。
「別に似合わないとは誰も言っていないだろう普段と比べてあんまり変わりすぎたから少し驚いただけだけでむしろ綺、いやかわ、いやいやとにかくおかしくない大丈夫だ!!!」
……すみません、早口すぎて全然分からないんですが」
「と、とにかくだな、何もおかしいところなんてないぞ。慣れない格好だから自分では違和感を感じるかもしれんが、俺からすれば……まあ、普通だ」
「普通、ですか……
 何やらルフレはまだ不満そうだったが、一応は納得してくれたらしい。どうにか心臓をなだめたクロムが歩き出しながら手招きすれば、大人しく付いてくる。
 いつものブーツではなく、踵が高い繊細な靴なので歩きづらそうに見えた。あまり連れ回すと、明日以降に響きそうだ。
 
(ここから近いとなると……凱旋通りの辺りか? あそこなら色々な店が集まっているし、疲れたら休める場所も多いしな。よし、行くか)

 慣れない靴に苦戦するルフレを気遣って、クロムはゆっくりとした歩調で凱旋通りを目指し、詰所前の通りを左へ曲がった。

 *

「おや、クロム様じゃないですか」
 ちょうど人の列が途切れたのを見計らって屋台に近付くと、衣服の上からでも分かる鍛え上げた筋肉の割に、どこか朴訥とした、昼寝をしていた熊のような大柄の店主が、クロムを見てちょこんと頭を下げた。
 いかつい成りをしているが、客商売をしているためか、はたまた元からこうなのか、にこやかで腰が低い男だ。
 以前、ガラの悪い男たちに難癖を付けられているのを助けた際にクロムが王族だと知られたのだが、大げさに恐縮したりしないので話しやすかった。
 水を向ければ、聖都のあちこちで屋台を出しているので、あの通りは最近怪しげな連中が増えたので移動してきただとか、ペレジア経由で仕入れる果物が高騰して困っただとか、城にいては耳に入りづらいことを色々と教えてくれる。
「今日の客足はどうだ? 久々に晴れたから大分いいんじゃないか?」
「ええ、まあおかげ様で。風がありますからそこまで暑くないですしね。今日もいつものやつで?」
「いや、それはまた今度にする。連れがいるんだ。揚げじゃがもあっただろう、手を汚さないで食べられるようにできないか?」
「それは勿論できますが……ほうほう」
 ひょい、とクロムの後ろの方、正確には他の通りと交差する地点に設置された噴水付近を眺めていた店主が、ある一点に目を留めると、やけに微笑ましげな笑みを浮かべてこちらを見た。
「いやあ……クロム様も隅に置けませんね。いつの間にかあんなに可愛いらしい恋人を作ってるなんて」
「はあ?! いや、違うぞ? あいつは自警団の新しい団員で、俺は聖都を案内しているだけだ!」
「いやいや、照れないでくださいよ。それにしてもよかった。クロム様はちっとも女っ気がないってんで、心配している人間も多かったんですが、これで安心だ」
「だから、違う!! 誤解だ!!!」
 クロムが力いっぱいそう主張しても、店主は聞く耳を持たない。それどころか「恥ずかしいなら今度でいいですから、紹介してくださいよ」とまで言い出す始末だ。
 いいひとができたお祝いに、とおまけをされるに至って、遂にはクロムも誤解を解くのを諦めた。これ以上は何を言っても時間の無駄に違いない。
 余計なことを聞かれる前にと、手早く代金を支払い這々の体で逃げ出した。
「顔が赤いですけれど、大丈夫ですか?」
……何でもない……
 噴水の淵にハンカチを広げた上へ、座って待っていたルフレの右隣へどかりと腰掛けた。隣と言いつつ、微妙に距離が空いてしまったのは、店主が恋人だの何だのと妙なことを言った所為である。
 治まったと思っていたのに、心臓がまたせわしなく音を立て始めたのだ。あまり近くにいて、あの甘いにおいを嗅いでいたら、さらに動悸が激しくなるに違いない。
 ルフレからやや目を逸らしながら、ほら、と買い求めた揚げじゃがを差し出した。
「木の串を付けてもらったから、これで手を汚さないですむだろう? 本当は他にも旨いやつがあるんだが、それはまたその内な」
「ありがとうございます。お幾らでした?」
「いや、いい。リズたちに付き合わされたんだろう、詫びには少ないが、まあ食べてくれ」
「え、ですけど……
「いいから」
 財布を取り出そうとしたルフレを制すると、しばらく押し問答が続く。生真面目なのは彼女の美点かもしれないが、ここは譲れない。
 彼女は、自分が今日このような格好をさせられた経緯を知らないのだろうけれど、元々はクロムが考えなしな発言をしたために、リズたちが躍起になってしまったのだ。
 巻き込まれたルフレに対して、クロムができることといえば意外と食べ物に目がない彼女に聖都の旨い屋台を教えて、実際に食べさせてやることくらいなのだから。
 やがてしぶしぶと財布を引っ込めたルフレは、恐縮して改めて礼を言ってから、こんがり黄金色の、できたてで湯気が立つ揚げじゃがに串を刺し口元に運んだ。
 ひとくち齧ると、驚いたように目をぱちくりさせている。
「おいしいです……
「だろう?」
「はい。ほくほくして、油っぽくなくて、お芋の味がちゃんとします」
 それから無言で、あっという間に半分ほど平らげた。はふはふと火傷しそうになりながら頬張っている様子が栗鼠のようで、思わず口元に笑みが浮かぶ。
「熱いから気をつけろよ」
「す、すみません。懐かしい味で、つい……
「懐かしい?」
「ええ、フェリアにいた頃、母がよく街に出ると買ってくれたんです。街へは滅多に行けなかったんですけど、これを食べるのが楽しみで」
「そうだったのか……。確かに、店主はフェリア出身だったな。芋もフェリアから仕入れているらしいから、案外お前が食べたのと同じ作り方なのかもしれん」
 平静さを装って返してはいたが、クロムは内心驚いていた。
 ルフレはあまり自分のことを語りたがらない。言葉遣いや態度は丁寧なのだが、どこか他人とは一線を引いているのだ。
 それはさながら、人をもてなすのは小奇麗に整えられた庭先で、決して家の中へは上げてくれないようなもので。
 だが今は、玄関の扉をほんの少し開けて、中を見せてくれたという気がした。表情や語り口もやわらかい。
 もっと、ルフレの色々な表情を見たいと思った。彼女のことが知りたかった。
 その感情を何と呼ぶのか、正解は周囲によって既に示されていたのに、クロム自身はまだ少しも気付いていなかった。

送信中です

×

※コメントは最大1000文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!