「クロム様」
一向に口を開かない主に、答えを求めてその名を呼ぶ。
女性には優しく、礼儀正しく、かつ紳士的に。
クロムの側役として、王族としての女性への接し方を教えたのは自分だ。
弟と妹を頼みますね、と幼い身でイーリス聖王の位を継ぐこととなったエメリナに、十に満たぬ齢で既に気品すら漂わせた微笑みで幼い兄妹を託されてから、もう随分と経つ。
フレデリクとて未熟だが、それでも己の全力でできうる限りのことを伝えてきたつもりだ。それもこれも、初代聖王の裔たるイーリスの王族として恥じることのない人物に育ってほしかったからである。
それなのに、女性を裸で追い回したとあっては。
「……クロム様?」
「こ、今度は俺が何かしたわけじゃないぞ?!」
にっこりと。笑顔を深めたところで、慌てたようにクロムは弁解を始めた。
今度は、というのは以前も一度、女性の入浴中、天幕に押し入った前科があるからだ。……そういえば、その時も相手はルフレではなかったか。
「前回のことがありますので……私個人としてはクロム様を信じておりますが、やはり客観的に見ますとクロム様がまたルフレさんに何かなさったと考えるのが妥当かと」
「信じてるとか言いながらまったく信じていないだろう、お前! いいか、俺はたださっぱりしようと沐浴をしていただけで、そこにルフレが天幕を間違えてだな……」
しっかりと、彼女に全身を見られてしまったらしい。
戦場にあっては常に冷静に戦局を見渡し、的確な指示を出すルフレも、さすがの事態に気が動転し、落ち着かせようとしたクロム(ただし裸だ)に手近にあったものを次々と投げつけた――それが、あの悲鳴と鈍い衝撃音の原因のようだった。
「……なるほど、お話はよく分かりました」
深々と。
フレデリクは本日、二度目の深い深い溜息を吐いた。
――――女性には優しく、礼儀正しく、かつ紳士的に。
しつこいようだが、クロムがまだ幼い頃から、繰り返し繰り返し言い聞かせてきた言葉である。
幸い、クロムは端的な物言いをするため稀に誤解されることはあっても、概ねフレデリクの教えのとおり、女性には丁重に王族らしく接してきた。
王族らしく、というのは過度な期待を抱かせず、しかし円滑な社交の妨げにはならない程度の、と言い換えてもいい。
妹姫のリズはまた違った評価があるようだが、エメリナより先に結婚、あるいは婚約してしまうと様々な点で差し障りがある事情を踏まえれば、今くらいのさじ加減がちょうどいいのである。
だというのに、何故かフレデリクの教育の成果が、クロムが文字通り道端で『拾った』軍師、ルフレには発揮されないのだ。彼女も無論、うら若き女性であるというのに。
「ルフレさんにはきちんと謝罪されたのですか?」
「ちょっと待て、見られたのは俺――――い、いや、許してくれたぞ? ルフレは。まあ、これでお互い裸を見られたわけだし、もう隠し事もない、絆が一層強くなったんだと思えば……」
「お待ち下さい、クロム様」
聞き捨てならない言葉に、常ならば主の発言に割りこむことなどしないフレデリクも思わず静止の声をあげた。
こちらを向いたクロムに気を悪くした様子はないが、怪訝そうな表情を隠そうともしていない。頭痛がした。これは本気で、分かっていないに違いない。
「今おっしゃたようなことを、ルフレさんにも……?」
「ん? ああ。これで俺たちの間に隠すものは何もなくなったんだから、今まで以上に一心同体の親友としてやっていこうというような話をだな……おい、フレデリク?」
今度こそ。
今度こそ本当にフレデリクは、エメリナの住まうイーリス城の方角に向けて地面に頭を擦り付け全身全霊で謝罪したい衝動に襲われ地面へ這いつくばった。
(申し訳ありませんエメリナ様……! 私が、私が至らぬばかりに……っ)
効率的に兵を動かし、味方の損害を最小限に抑える策を立てられる軍師という存在を、フレデリクの主はずっと探し求めていた。そこに現れたのがルフレだ。
クロムがひょんなことから助けた行き倒れの女性は記憶がないと言いながら、ひとたび戦いとなれば天才的な戦術の閃きを見せる。
しかも彼女は自ら戦場に立つのだ。魔道書を用いるのが得意なようだが、剣術もいくらか嗜んでいるらしく、ならず者たち程度ならその細腕で軽くいなす。
ようやく見つけた軍師となり得る存在と出会い、聖都に辿り着くまでの短い旅の間、クロムは子供のようにはしゃいでいた。
初対面のルフレには分からなかっただろうが、常よりも口数が多く、リズやフレデリクからすれば分り易すぎるほどだった。
妹王女のリズも口にすることだが、クロムは人に頼ることを無意識の内に避ける傾向がある。
幼くして即位し、苦労の絶えぬ姉を間近で見て育ったせいかもしれない。早く姉の助けになりたいと、子供らしく遊びまわることも少なかった。
彼にとって周囲の人間は、守るべき相手か、教えを請うべき相手であって、同じものを見、背中を預け合う存在ではなかった。
だが記憶が戻るまでとの条件付きでルフレが自警団の軍師となってから、何事かあるとすぐ彼女の姿を探し、戦場ではまるでそうするのが当然のように彼女に背中を預ける。絶対的な信頼と言ってよかった。
頼りになる相棒、親友。口ではそう言うが、ふとした瞬間に見せるルフレへの眼差しがそれだけでなくひどく優しいことに、クロム自身はまったく気付いていないようなのだ。
自警団内の主だった面々は、既に団長に遅い春が来たことを察しているにもかかわらず、肝心の本人は朴念仁にも程がある。
「おーいフレデリク、大丈夫か?」
地面にへたり込んだまま微動だにしないフレデリクの前で、ぱたぱたとクロムが手を振っている。暢気なものだ。
この主に、自らの想いを自覚させるにはどうしたら良いのだろう。
それは、出没する屍兵の群れへ単騎突撃し片付けてくるよりも、遥かに難しい問題のように思われた。
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