きらびやかな装備に身を包んだ騎士たちに守られて、王族や限られた人間しか入れない、大聖堂での婚礼の儀を終えた聖王夫妻が姿を現したのはそれからまもなくのことだった。
この日の為に特別に用意された白い馬が、やはり騎士たちと同様に豪華に飾られ夫妻の乗った馬車を引いている。馬車と言っても、造りのよい二人掛けの椅子のようなものに車輪が付いているだけの構造で、覆いも何もない。その分通りに集まった民からは、聖都でも評判の仕立屋が腕によりをかけて作り上げた婚礼衣装や、幸福の絶頂にあるだろう二人の様子をよく見ることが出来るのだろうけれど、警護の任に当たっている人間は気が気でないだろう。
矢のひとつでも射掛ければ、簡単に傷付けることが可能だ。勿論、そういった可能性も考慮して上空には天馬騎士団も配置しているのだが。
通りに詰めかけた人々は、今の状況の危うさも認識せず、ゆっくりと進む行列の中心にいる聖王夫妻へ熱狂的に手を振ったり、祝いの言葉を叫んだりしている。この時期イーリスは次々と花が咲き揃う、一年でもっとも美しい季節だ。父親に肩車をされ、色鮮やかな花びらを雪を降らせるように撒く幼い少女もいた。
深みのある藍の髪が白い衣装に映えて、凛々しいばかりの聖王も、陽の光に照らされて淡く煌めくドレスに身を包み、慎ましやかで可憐な様子で夫に寄り添う聖王妃も、どちらも満ち足りた、この上なく幸福そうな笑みを浮かべて歓声に応える。
「本当、絵に描いたように似合いのお二方ねえ。素敵だわ」
「この間酒場で吟遊詩人が謳ってた話、満更嘘でもないんだろうなあ。道端で行き倒れてた女を拾って嫁にするなんざ、俺たちの聖王様もやってくれるぜ」
「ぱぱ、はなよめさんきれーね!」
握り合った手を一時も離さない、仲睦まじい二人に対する反応は好意的なものばかりだ。何と言っても即位前の聖王は、武芸の稽古に力を注ぎ、自警団の団長として駆けずり回るばかりで、若い王族男子にありがちな色めいた噂が一切なかった。それは聖都の人間ならほとんど誰もが知っている話で、気を揉んでいる者も多かったのだ。
それが一転、ペレジアとの戦の終結後婚約が発表され、妻となる女性を溺愛していると漏れ聞こえてきて、皆微笑ましく思うと同時に安心したのである。中には記憶喪失と偽って、女慣れしていない聖王に取り入ったのではと危ぶむ者もいたが、城からは二人の相思相愛ぶりを伝える話ばかりが伝わってきて、そのような不安は瞬く間に追いやられた。
行列はそろそろ、主要な通りが交差する聖都の中心部に差し掛かろうとしている。ちょうど広場のようになっていて、伝統的な彫刻が施された噴水がある。ここを折り返し地点として、それぞれの主要な通りを回り、王城に帰還するというのが今日の行程だ。一番多く聖王夫妻の姿を目にすることができるというので、人の数も桁違いである。
噴水をぐるりと行列が回り始めたところで――――これまで以上のどよめきが起こった。雑踏の人々へ微笑みながら手を振り返していた聖王が、ふいに隣の妻を引き寄せ口付けたのだ。ほんの一瞬だったが、その間に聖王妃の顔はみるみる真っ赤に染まり、口元を片手で押さえて固まってしまった。
それでも手は繋がれたままなのだから、馬車の周囲の警護を担当していた騎士――聖王の第一の側近である騎士団長の計らいで、妻帯者ばかりが選ばれていた――も堪ったものではない。結婚する予定のない、あるいは相手すらいない独り身の男女にも、目の毒だ。
この時、人々は揃って思ったことだろう。このイーリスに、未来の聖王が誕生する日もそう遠くはない、と。
ちょっとした事件は起こったが、そのまま一団は滞り無く噴水の周囲を回り、別の通りへと行列を進めて行った。
フードの男は変わらず同じ場所へ佇み続けていたが、その雰囲気が険を増したことに気付いた者は、どれだけいるのか。拳は固く握りしめられ、僅かに震えてさえいる。
「――――あらぁ、随分怖い顔ね、ネアン」
「……インバースか」
ネアン、と呼ばれた男が振り向けば、そこには周囲の女性たちと変わらない、町娘が精一杯着飾ったような、つまり初めての聖都見物に浮足立つ、少し垢抜けない印象を与える格好をした女が立っていた。だが雰囲気は男と同じく異質で、単なる町娘にしてはあまりにも色香を漂わせすぎている。
そんな彼女を睨めつけるようにし、男――ネアンは女の名を呼ぶ。ペレジアのギャンレル王の側近だったと知る者は、聖都の市井の人間にはいない。しかし抑えた密やかな声音で応酬は続く。
「どこで油を売ってるのかと思ったら……。ファウダー様がお呼びよぉ? もう心配で心配で、イーリスなんかにいたら危ないから早く戻っていらっしゃい、ですって。うふふふ」
「呼んでいるのは『あれ』の方だろう。あの人は俺を探したりしない」
「そんなことないわよぅ。私たちの『お父様』でしょう、ねぇ? お・兄・ち・ゃ・ん」
「その呼び方はやめろと、何度言ったら分かる」
しなだれかかるようにしてきた、むせ返るような甘いにおいを立ち上らせる豊満な肢体をにべもなく押し退け、ネアンは歩き出した。「冷たいわぁ」と相変わらず甘ったるい声が背中に投げ掛けられたが無視する。この女は苦手だ。今身に着けている衣装そのままに、彼女が純朴な娘であった頃を思い出してしまう。その頃、彼はまだ血縁上は親子である男の愛を求める愚かな子どもだった。役に立つことを示せば、きっと優しい笑みを向けてくれると信じていた。そんなことはあり得ないのに。
ギムレー教の教主であるあの男が求めているのは、今も昔もただひとつ。そして、ネアンは決してあの男が望む存在足り得ないのだ。それ故に彼はネアン――『何者でもない』と、名付けられたのだから。
「それで? あの子と再会したご感想は?」
「……」
「綺麗だったわねぇ、花嫁さん。しかも……ふふ、見たでしょさっきの。噂に聞いてはいたけどぉ、本当にあの王子サマを骨抜きにしちゃったのねぇ。あーんな清純そうな顔して、どんな手を使ったのかしらぁ?」
「……」
「んもう、何とか言いなさいよぅ。ああそれと。二人はね、お互いのことを自分の『半身』と呼んでるんですって。……あらら、そんなに強く噛むと唇が切れちゃうわぁ。ほら」
ついて来るなと言外に滲ませていたにも関わらず、狭い路地裏まで足早に追って来てひらりひらりと舞うように周囲に纏わりつくインバースの、ある言葉が彼の心を猛烈に掻き乱した。フードを目深に被ってはいたが、長い付き合いの彼女にはお見通しであったらしく再び腕を取られ、長くしなやかな指先がネアンの血が滲んだ唇をなぞる。女の指はそのまま激しい動揺を面に表さぬようにしながらも強張った頬を滑り、フードをゆっくりと外した。
顕になった色素の薄い髪と瞳は先刻、人々の羨望を集めていた聖王妃と同じもの。そして顔立ちも、鏡に映す際性別だけ異ならせたのではないかと、そう思ってしまうほどに酷似している。
ただネアンには、今日聖王妃となった女性――ルフレから感じられる、誰とでも打ち解けてしまうような不思議な親しみやすさがない。細かな部位の造作は柔らかいものな筈なのに、全体的に怜悧で鋭い印象を見る者に与えてしまう。
「んふふ……このまま帰るの?」
「………………ああ」
「てっきり王子サマのところから攫ってきちゃうのかと思ったわ。あなたの大事な大事な――――」
「呼ばれていると言ったのはお前だろう、インバース。用件は分かっている。『西』のことだ。……赤いキングは黙っていても盤上を制するだろうが、あれは時が惜しいと言う。力を早く取り戻したいのだろうな。後押しをしろと、そういうことだろうさ」
揶揄するように紡がれかけた言葉を、早口で遮った。纏わりつく指と腕を再度力を込めて払い除ける。『軍師』としての思考はネアンに少しだけ平静さを取り戻してくれた。
そうだ、今日というこの日に、イーリスの聖都までやって来たのはただ確かめる為だけなのだ。群衆を沸かせた聖王のあの許し難い行為。あれさえなければインバースに呼び戻されるまでもなく、さっさとペレジアへ戻っていた。
彼女が、ルフレが今どれほど幸福か。それを確かめられれば、すぐにでも。
先ほど見た限りでは、あともう一息といったところだ。ルキナ、と。そう名付けられることになる子どもが生まれれば、ちょうど頃合いかもしれない。幸せが深まれば深まるほど、愛しい男と積み上げていく時間が増えれば増えるほど。それを奪われ、どん底へ落とされた時の絶望は極上のものになる。
その日が……今から楽しみだった。
「……悪い顔。でも、好きよ。ネアンのそういう顔。ぞくぞくしちゃう」
「御託はいい、さっさと戻れ。俺もすぐに行く」
「はぁい。分かったわ、『お兄ちゃん』」
呼び掛けとは裏腹に、扇情的な流し目を寄越し転移の術でインバースは消える。後を追って術式を展開させる前に、ネアンはもう一度だけ振り返った。そうして、通りを隔てても聞こえてくる歓声の向こうにいるであろう、同じ色の髪と瞳を持つ存在へ心の中で語り掛ける。この上なく酷薄な笑みを浮かべて。
(君の本当の半身は、そのなまくらの剣を後生大事に抱えたナーガの末裔なんかじゃない、俺だよ。それも忘れてしまっている君には、後でお仕置きが必要だろうな……そうだろう? ルフレ)
ーーーー愛しい愛しい片割れよ。残り少ない幸福を、せめて今は味わうといい。
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