わたしのかぞく - 1/2

 これからわたしのかぞくのはなしをかきます。
 せんせいが、るきなのすきなものをかいてみましょうといったのです。
 ぶんしょーのれんしゅうなのだそうです。
 だから、だいすきなおとうさまとおかあさまのことをかきます。

「まあ、ルキナ。上手に字が書けるようになりましたね」
 背後から優しい声がした。
 小さな身体で、専用に誂えられた机にかじり付くようにしてペンを走らせていたルキナは、いつもならばすぐその声の持ち主に抱き付くのだが、今日に限ってはそうしなかった。代わりに、大慌てで近くにあったまだ何も書かれていない真っさらな綴り紙を手に取り、今まで懸命に記していた紙の上に乗せてしまう。
「あら、何を書いていたのか見せてくれないのですか?」
 悪戯っぽく声を立てて笑うその人を、振り返らずともルキナは知っていた。子供らしくふっくらとして丸い頬を真っ赤に染め、机の上の綴り紙に覆いかぶさるようにしたままで上目遣いで見上げた先には、ひとりの女性。
 流れ落ちる絹糸の様な銀の髪。この上もなく優しい慈しみの色をたたえる色素の薄い瞳。肌は抜けるように白く、微笑みを浮かべた口元は珊瑚のようで。つまりはとても綺麗なひと。
 御伽話に出てくるお姫様みたい、とルキナが常々思っているその女性は、このイーリスの聖王妃ルフレ――数年前のペレジアとの戦で、聖王(ただし継承の儀は済ませていない為、正式には代理となるが)のクロムと共に、圧倒的な劣勢状態から聖王国を勝利へ導いた英雄の片割れだ。
 天才的な知略でもって影に日向に聖王を助け、しかし私生活ではその鋭さをおくびにも出さず穏やかに愛情深く夫を支える彼女は、ルキナの母でもあった。
 慈愛を込めてこちらを見下ろす母の胸に飛び込んで、思い切り甘えたいという誘惑を必死に振り切って、ルキナはぷるぷると首を振る。
……せんせいにみてもらうまでだめです」
「ふふっ。宿題なんですね、分かりました。でも、もうすぐおやつの時間ですからね。あまり頑張りすぎては駄目ですよ?」
 ふわりと微笑んで母はルキナの額に口付ける。甘い甘い、いい香りがした。怖い夢を見たと言ってはよく両親の寝台にもぐり込むルキナを寝かし付ける為に、よくしてくれる『おまじない』。勿論、それ以外の時にもしてはくれるけれど。この『おまじない』をしてもらうと、不安はどこかへ吹き飛んで、とても元気が出てくるのだ。
 ……もうすぐお姉さんになるのだし、少し気恥ずかしい気はするのだけれど。
 上品な衣擦れの音をさせながら、母は部屋を出て行った。ぱたんと扉が閉まる。足音が完全に遠ざかると、ようやくルキナは息を吐いた。
 少し皺になってしまった綴り紙を小さな手で伸ばし、転がしたままだった羽根ペンを再び握る。
 聖王と聖王妃の長子――つまりはイーリスの第一王女にして、未来のイーリス女王となるべきルキナの教育は、同年代の子供達とは比べ物にならぬほど早い時期から始まっていた。教師陣が感嘆する位にルキナ自身の飲み込みが早いこともあって、まだ不恰好だが幾らか文字を綴ることもできる。
 今日、教師から与えられた課題はルキナ自身の大好きなものについて書いてみなさい、というものだった。大好きなものといえばもう、父と母に決まっている。後はどういう文章を書くのかなのだが。
「うーんと、えっと……
 可愛らしく小首を傾げながら、まずは母のことから書いてみよう、と思った。

 わたしのおかあさまは、せかいでいちばんきれいです。
 おはなしにでてきたゆきのくにのおひめさまみたいです。
 でも、ゆきとちがってとてもいいにおいがします。
 それとおかあさまは、るきなにとってもやさしいです。
 きのうもるきながころんでないていたら、いたいのいたいのとんでけーってしてくれました。
 そうしたらほんとにいたいのがなくなったので、おかあさまはまほうがつかえるんだとおもいます。
 おかあさまはみんなの『おうひさま』だけど、まほうつかいなのはるきなのまえだけなんです。
 すごいでしょう?
 
 

 きゅるるるる。
 子供向けの辞書で綴りをひとつひとつ確認しながら、ペンを走らせる音ばかりが響いていた子供部屋に、やけに気の抜ける音がした。
 視線を落として、その発生源が自分だと分かるや、ルキナは空腹に耐えかねて主張しだしたお腹にぺたりと手を当て、机に突っ伏してしまった。先ほど昼食を食べたばかりだが、日々成長していく子供の身体は、ただ座って机に向かっていただけでもお腹が空いてしまうのだ。
……おなか、すきました」
 呟いてみたところではたと気付く。
 そうだ、おやつ。
 先ほど母が来た時に言っていたではないか。もうすぐおやつの時間ですよ、と。
 それに思い至るや、勢い良く椅子から飛び降りてルキナは与えられた子供部屋から廊下に出た。
 おやつの時間は、子供好きな料理長が日々腕によりをかけた菓子を作ってくれるので、毎日楽しみにしているのだ。
 昨日は林檎のタルト。その前は洋梨のゼリー。その前は……と、数々の美味しいお菓子を思い起こしながら、今日のおやつへの期待ですっかりご機嫌になってしまったルキナだった。

 ***

「もも〜りんご〜いちご〜」
 イーリス城の一角の回廊を、ルキナは楽しそうに拍子を付けて果物の名前を歌う様に呟きながら歩いていた。
 すれ違う文官や兵士達が微笑ましそうに目を留めては、頭を下げていく。その度に、叔母のリズ直々に仕込まれた淑女らしい礼を返す愛らしい姿は、更に見る者の笑みを誘った。
 父譲りの深い藍色の髪を揺らし、同じ色彩の瞳を好奇心できらきらと輝かせて城内を駆け回る幼い王女は、皆に愛されている。
 中には尊い聖王家の血に、何処の馬の骨とも知れぬ雑種の血が混じってしまったと意地悪く囀る無粋な輩もいないではなかったが、フレデリクやリズ等、両親に近い人間に守られて、その悪意はまだルキナまで届いていなかった。

「お、楽しそうだな、ルキナ」
「おとうさまっ!」
 今度は羊皮紙も何も持っていなかった為に、すぐにルキナは角から現れた父に駆け寄った。ルキナの意図を察した父は、笑いながらしゃがみ込んで両腕を広げる。そこに勢い良く飛び込んで思い切り抱き付いた。
……っと。一人前の淑女は、父親に体当たりをかまさないものなんじゃないか?」
 苦笑する気配。父はそのままルキナを抱き上げて立ち上がった。背中に回した手であやすようにぽんぽんと叩く。
 決して怒った風ではなかったが、『一人前の淑女』との言葉に、行儀作法の教師から厳しく叩き込まれたあれこれを思い出してしまった。
 曰く、廊下は走らない。曰く、気軽に人に抱き付かない。曰く、何事も控えめに。
 これまでの一連のルキナの行為を見られていたら、まず間違いなく雷が落ちるだろう。常に背を伸ばしにこりともせずに教える行儀作法の教師が、実は密かに苦手だった。たちまち声も沈んでしまう。
「ごめんなさい、おとうさま……
「ははっ、そこまでしょげなくてもいい。元気がある証拠だろう。今日は何をしてたんだ?」
「あっ、はい、えっときょうは……
 だがルキナを抱えたままゆっくり歩き出した父は、少しも気にしていないらしかった。そういえば、父自身もよく鍛錬の最中に物を壊しては母や叔母達に叱られていた気がする。
 父が格好いいということに関しては文句なしだが、礼儀正しいかと言われると疑問だった。

(おとうさまも、るきなとおんなじ?)

 父とルキナで、並んで教師にお小言をくらっている場面を想像してみる。何やら様になり過ぎていて楽しくなった。気分も明るくなって、にこにこと笑いながら父に今書いているもののことを説明していく。
 父は目尻を下げて、話す内容のひとつひとつに頷いていた。母とルキナにだけ見せるその優しい仕草がルキナは大好きだった。

 ***

 わたしのおとうさまは『おうさま』です。
 だからおしごとがいそがしくて、あんまりるきなとあそんでくれません。
 でもその分、いっぱいあそんでくれるひがあるのでがまんです。
 そういうとき、ぎゅってしてもらうとおとうさまからはおひさまのにおいがします。
 それと、けんのおけいこをしたあとはちょっとあせくさいです。
 でもおけいこのときのおとうさまは、いつもよりかっこいいのでだいすきです。だってだれもおとうさまにかなわないんです!
 るきなもいつかおとうさまみたいにつよくなって、おかあさまをまもってあげたいです。

 ***

 やがて、ひとつの部屋の前で父は足を止めた。
 軽く扉を叩き、返事が聞こえる前に「俺だ、入るぞ」とルキナを抱えたまま扉を開く。
 個人的な応接にも使われる部屋の中には、既に母がいた。ちょうどノックの音に振り返ったばかりなのだろう、視線が合うと困ったように眉尻を下げて、こちらに歩み寄ってくる。
「もう……クロムさん。相手から返事がある前に扉を開けてしまったら、ノックの意味がないじゃありませんか」
「今更気にするような仲じゃないだろう」
「ルキナが真似したらどうするんです? 少しはこの子のお手本になって下さいな」
 ルキナの髪を優しく撫でてくれながら、母は父を咎めた。
 といっても本当に怒っているというのではなくて、仕方ないとでも言いたげに、それでも一応は注意しておかなくてはと思っている様だ。毎度お決まりのやり取り。
 父もそれを分かっているのか、片手でルキナを抱いたまま空いたもう片方で母を引き寄せ、笑いながらそのこめかみに音を立てて口付ける。
「悪かった。今度からは気を付ける」
……今度今度って、クロムさんはいつもそればかりなんですから」
 そう口にして、母は父を拗ねたように見遣った。白い頬が僅かに赤い。これも、いつものやり取りだった。父がこうすれば、母はそれ以上強くは言わない。

「王妃様、お茶の準備が出来ました」
 再び扉を叩く音。表情を改めて、母はするりと父の腕の中から抜け出た。今度の声の主は、どうぞと母が声を掛けてようやく静かに扉を開いた。
 入ってきたのは少年。彼にはルキナも見覚えがあった。少し前に、侍従見習いとして入ってきたのだと紹介された気がする。フレデリクや侍従長について、城内を廻っているところをよく見かけたのだ。
 多忙を極める両親を、ルキナが独占できるこの僅かな時間、大抵準備をしてくれるのは母付きの侍女であることが多い。
 ただ、侍従見習いというのは色々なことができないといけないらしい。おそらく、今日一家団欒の席の準備を整える役目を仰せつかったのも修行の一環なのだろう。
 緊張にか表情を固くして、茶器一式と焼菓子の乗った台車を押している。零さないか不安なのだろう、前を見据えつつも時折視線をちらちらと揺れるカップの表面に落としていた。部屋の中央にある長椅子と卓の近くまで辿り着くと、傍目にも安堵しているのが分かった。
「後は私がやりますから下がって頂いて大丈夫ですよ。ありがとうございます」
「は、はい!」
 母は誰に対しても丁寧な物言いを崩さない。労いを込めて母が目線を合わせ柔らかく微笑むと、少年は顔を真っ赤にして固まってしまった。
 無理もない、と思う。母は本当に綺麗で、間近で微笑まれるとルキナでもうっとりしてしまうのだ。
 年若い侍女達が『王妃様って素敵よね! 陛下が毎晩離されないのも分かるわあ』と騒いでいるのもこの前聞いた。
 ふと、何気なく父の顔を見上げてみる。先ほどまでは機嫌よく笑っていたのに、今はなにやらむすっとしている。
 視線の先を辿れば、母と、母を見上げて固まっている少年の姿。それを見て、ルキナは降ろして降ろしてと抱き付いた父を小さな手で叩いた。
 父がしゃがみ込んで床にルキナを降ろすと、小走りで少年の側まで近寄る。母は不思議そうな顔をしたが、構わず硬直したままの少年の服の裾を引いた。顔を赤くしたまま彼がルキナの方を見る。それを確認してから一言。

「おかあさまはおとうさまのだからだめですよ?」
 
 一瞬、沈黙が降りた。
「る、るるるルキナ?!」
……っ、申し訳ありませんーーーーーー!!」
 その後に母は盛大に頬を紅潮させ。少年は礼儀作法も何もかも放り捨てて、涙目で走り去ってしまった。あんなに走ったら先生に怒られるのに、としか思わないルキナは自分がどんな発言をしたのかよく分かっていない。
「おかあさま? おかおがまっかですよ?」
「る、ルキナ……
 見下ろす母の顔は、先刻までここにいた少年以上に赤い。何か言おうとしているらしいのだが、口を閉じたり開いたりしても紡げるのはルキナの名のみ。
 不思議に思っていると、後ろから回された腕が力強くルキナを抱き上げた。
「ははっ! 頼もしい騎士だ、なあルフレ?」
「クロムさん……! あ、あなたですね?! ルキナに変なことを言わせないで下さいっ」
「俺は何も言っていないぞ? だがこれなら俺がフェリアに行っている間も安心だな。ルキナ、母さんに悪い虫が付かないよう頼むぞ」
「はい! おかあさまはるきながまもります!」
「クロムさん!」
 叫ぶ母を無視して、父は腕の中のルキナに笑いかけた。どうやら機嫌は直ったようだ。よかった、と思う。やはり笑っている父が一番好きだった。
 何を言っても埒が明かないと判断したのか、母は熟れた様に赤い顔のまま黙々と菓子や茶器を卓に並べ始める。
 長椅子の上にルキナを降ろした父が手伝おうとすると、手袋をした手でぴしゃりと叩く。菓子は焼き上がったばかりなのか、甘い香りが辺りに漂った。
 卓の上の綺麗に並んだ菓子。今日は南瓜の種が入ったクッキーだ。形は南瓜を象ったようになっていて、可愛らしく口と目が描いてある。ルキナは顔を輝かせて、母に目で尋ねた。食べてもいい? という無言の訴えに、優しく頷く母。

「ルフレ」
……
「なあ、ルフレ」
……
 だが父に対してはそうはいかない様で、名を呼ばれてもだんまりを決め込んでいる。
 今度こそ簡単には絆されませんからね、という意思表示なのかもしれない。だがルキナはこの後の流れが何となく予測できてしまった。
「怒ってるのか?」
……怒っては、いませんけど」
 しょげかえった大型犬を思わせる様子で弱々しく父が問い掛ければ、固く引き結ばれていた母の唇がゆっくりと開く。こうなればもう、父の思う壺だ。素早く背後に回ると母を抱き込み耳元で甘く、甘く囁く。
「俺は、お前が心配なんだ、ルフレ。本当は一時だって離したくない。だが……マークがいるお前を長旅に同行させるわけにもいかんし、な」
「そ、それとこれとは話が別だと思いますけれど……
 母の声は、どんどん小さくなっていく。お茶が冷めてしまいますよ、と。
 ここにフレデリク辺りでもいたらやんわり割って入るのだろうか。そんな恐ろしい真似はしませんと彼が言うかどうかは置いておいて、ここには両親とルキナしかいなかったので、そしてルキナは手を付けられていない父と母の菓子が欲しいなあと密かに思っている最中だったので、どんどん二人だけの世界に入り込んでいく聖王と聖王妃を止めるものは誰もいなかった。
 それに、ルキナは知っていたのだ。
 どんなに拗ねてみせてもむくれてみせても、父の言葉ひとつで、結局母は父に絆されてしまうのだということを。
 ほら、今だって。

――――愛してる、ルフレ」

 ***

 おとうさまはおかあさまがだいすきで、おかあさまもおとうさまがだいすきです。
 るきなもおかあさまとおとうさまがだいすき!
 るきなのこともだいすきですか? ってこのまえきいたら、もちろん、ってえがおでいってくれました。
 もうすぐるきなにはおとうとができます。
 なまえはまーくだよ、っておとうさまがおしえてくれました。
 まーくもるきなのこと、だいすきになってくれたらいいなあっておもいます。

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