「――――さん、ルキナさん」
自分を揺り起こす誰かの手と、懐かしさを感じる呼び声に導かれるようにしてルキナは目を覚ました。
寝起きでぼやける視界に黒い姿が浮かぶ。幸せな夢を見ていた。とても、幸福な。けれど早く起きなくては。書き上げた宿題を先生に見てもらわなくては。
でももう少し、と夢の余韻を味わう様にゆっくりと目を瞬く。ようやく視界がはっきりしてきた。
こちらを見下ろしているのは黒い外套に身を包んだ少年。父と同じ青い髪と瞳の――。
「マーク……? あなた、まだお母様の……」
お腹の中にいる筈では、と続けようとして気付く。唇から漏れ出る声は甲高かった気がしたが、今は落ち着いて低くなり、舌足らずだった口調もしっかりとしたものに聞こえた。
焼き菓子を頬張る為に使っていたふくふくとして小さな手も、豆のできた固い成長した手のひらになっている。
「ルキナさん? ぼんやりしちゃってどうしたんですか?」
第一、まだ生まれてもいなかったマークがこんなに大きくなっているのだ。ならば辿り着く答えはひとつしかない。
(ああ……ゆめ、だったんですね)
何も知らず、父と母に守られ愛情という揺り籠の中で微睡んでいた頃の。幼い、ひどく幸福だった時の、夢。今では遠い過去。もう二度と……戻らない時間。
不思議そうに覗き込む弟に気取られぬよう、密やかに息を吐いて立ち上がる。どうやら、あまりに天気がいいので木に寄りかかったままうたた寝をしてしまったらしい。
「……すみません、マーク。少し寝ぼけていたみたいです」
「そうなんですか? ルキナさんでもそんなことがあるんですねー。僕ちょっと安心しました! っと、そうでした、父さんと母さんがルキナさんのこと呼んでましたよ」
「お父様とお母様が? ……分かりました、すぐ行きますと伝えてもらえますか」
「はーい、了解です」
にこやかに頷くと、何が楽しいのか今にも歌い出しそうな様子でマークは去って行く。あんな性格だっただろうかと記憶の中の弟の姿を思い起こそうとしてみたが、上手くいかない。
先ほどまで見ていた、夢の所為だった。あまりに幸せ過ぎて、あのまま目覚めなければよかったのにと思ってしまいそうになる自分の弱さをルキナは叱咤した。
息を吸う。そして吐く。
一呼吸して心を落ち着けると、腰に佩いた宝剣を鞘から引き抜き、陽光の下に晒す。ファルシオン。初代聖王が手にして邪竜を打ち破ったという聖なる剣。そして父の愛剣。
大丈夫。この時代、父は生きている。そして母も。
大丈夫。ルキナは未来を知っている。何故、父が死なねばならなかったのか、その結末を変える手段が必ずある筈だ。
大事な人達をもう二度と失わぬ為に、ルキナはここに来たのだから。
「今度こそ……守ってみせます。だからファルシオン、どうか私に運命を変える力を」
そう祈るように呟いて歩き出したルキナの姿はもう幼い子供ではなく、運命に抗うひとりの戦士のものだった。
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