私の旦那様はちょっと意地悪

 実は、クロムは女生徒の間で密かに人気が高い。
 彼自身はどうも遠巻きにされている気がする、とぼやいていたけれど、男らしく整った甘さの少ない顔立ちと、スーツを着ていても分かる、剣道と弓道で鍛えた逞しい身体つきに皆、多少の近寄りがたさを感じているだけだ。
 竹刀や弓を構えた姿の凛々しさはもちろんのこと、理解の遅い生徒にも根気強く付き合って、丁寧に教えてくれる優しさに、既婚者であっても憧れている女生徒は多い。
 ……だから、たまにこんな場面に遭遇してしまう。

「く、クロム先生……! お昼休みにすみません。今日の授業で分からないところがあったので、質問したいんですが……

 緊張にか、少し上ずった女生徒の声が聞こえてきて、ルフレは思わず足を止めた。
 天気がいいので中庭でソワレと昼食をとった後、陸上部の部室に顔を出すという彼女と分かれて教室へ戻ろうとしていたところだった。
 盗み聞きのようだと後ろめたさを感じながら、恐る恐る人気のない廊下の曲がり角から声のした方を窺えば、想像していたとおりの光景がそこには広がっていた。
 ふわふわした柔らかそうな髪の、可愛らしい少女が頬を真っ赤に染めてクロムを見上げている。隣にいるのは友人だろうか。彼女も同じく顔が赤く、教科書とノートを胸の前で抱えている。
 彼女たちの顔にも態度にもクロムへの淡い思慕が表れていて、もやもやとしたものが胸の中で広がっていく。
 
「ああ、もちろんいいぞ。どの辺りだ?」
「は、はい! ここなんですけど……

 クロムが快く応じたことで、緊張気味だった女生徒二人の顔がぱっと輝いた。
 そのことにますます胸が苦しくなって、自分の狭量さにルフレは嫌気が差す。
 生徒が教師に質問するのは当たり前だし、教師であるクロムがそれに応えてやるのは当たり前だ。年頃の少女が、格好いい先生に憧れめいた気持ちを抱くのだって理解できる。

……でも、クロムさんは私の……なのに)

 そこでルフレはふるふると頭を振った。自分の思考の幼さにますます落ち込んでしまう。こんなことでいちいち目くじらを立てるなんて、まるで子供だ。
 早くクロムに相応しい大人の女性になりたいと思っているのに、ちっともままならない。
 はあ、と小さく溜息を吐いたルフレの耳に、「ありがとうございました!」と華やかな声が重なって届く。
 ルフレが悶々としている間に、いつの間にか質問は終わったらしい。  
 けれど、それで彼女たちは話を切り上げて教室に帰ると思ったのに、もじもじと何か言いたげにしていて、その場を離れようとしない。

「どうした? 他にも何か分からないところがあるのか?」

 穏やかな声で促すクロムの表情は優しい。自分に優しくしてくれるときはただただ嬉しくて、どうしたらいいか分からないくらい幸せなのに、彼のその優しさが自分ではない誰かに向けられていると思うと、ちくちくと針で刺されたように心が痛む。
 これ以上、この光景を見ていたくない。そう思い踵を返そうとしてーーーーけれど次に聞こえてきた言葉に、また足が止まってしまう。

「あの! 先生の奥さんってどんな人なんですか?」
「俺の……? 何だ、藪から棒に」
「だって、気になっちゃって。ね?」
「そうですそうです。みんなで噂してるんですよ。先生、毎日愛妻弁当じゃないですか。だからどんな人なのかなーって」

 思わぬ話題に、これでは本当に盗み聞きだと思いながらも、ルフレはその場を動けなかった。
 クロムは結婚していることは隠していないが、その相手が自分の勤める学園の生徒だというのは公にしていない。
 疚しいことではないが、教え子との結婚ーーもっとも、クロムとルフレが付き合い始めたのは彼が教師になる前だったのだけれどーーを公表することで生じる諸々の煩わしさを考え、ルフレが卒業するまでは秘密にしておこうと二人で話して決めた。
 だから学園でルフレは指輪を外していて、代わりに鎖に通して首から下げている。
 その指輪を制服の上からぎゅっと握りしめていると、「そうだな……」と少し照れくさそうに頭の方へ右手をやったクロムが、ふいにこちらを見た。
 
(え? クロムさん、私が見ているの気付いて……!)

 気の所為、とは到底思えなかった。一瞬だったが、はっきりと視線が交わって口元が微かに緩んだのだ。
 もしかして、最初から気付いていたのだろうか。ルフレが子供っぽい独占欲を制御しかねて、心の中で湧き起こる黒いものと格闘している間も……
 恥ずかしくて、穴があったら入りたかった。
 そしてルフレがまごついている間に、クロムは右手を戻して、左手を、正確に言うなら左手の薬指にはまった指輪をそっと撫でた。
 学園ではただの教師と生徒なのに、彼は時折こんな風にこちらを翻弄する。『学園でお前に愛していると言いたくなったらこうするからな』と告げた秘密の合図で。
 先ほどまでとは違った意味で胸が苦しくなった。心臓が踊るように跳ねている。顔も熱くて、絶対赤くなっているに違いない。

……すごく可愛い。寂しがりやなくせに、平気なふりをしようとする意地っ張りなところが可愛い。照れ屋なところも可愛いし、からかうと真っ赤になって怒るところも、真面目で努力家なところも可愛い。……ただ、可愛すぎて離れている間に悪い虫がつかないか心配だな」

 きゃー! と女生徒たちから悲鳴が上がる。「ラブラブですね!」「羨ましいなあ」と口々に発せられる言葉は、けれどほとんどルフレの耳を素通りしていた。自分の心臓の音の方がうるさすぎて、そちらを宥めるので手一杯だったのだ。
 そうこうしている内に今度こそ本当に話は終わりになったようで、お礼を言って制服姿の少女たちが去って行く。そしてクロムはーーーー。

(ど、どうしてこっちに来るんですか?!)

 やっぱり気付かれている。職員室に戻るなら廊下の途中にある階段を降りるべきなのに、彼は真っ直ぐルフレを目指して歩いて来る。
 わたわたと慌ててその場を離れようとするが、「ルフレ」とはっきり呼び掛けられては大人しく留まざるを得ない。

「クロム、先生……
「今の、聞こえてたか?」

 クロムは意地が悪い。ルフレが見ているのを気付いていて、わざとあんな、堂々とのろけるようなことを言ったくせに。
 こちらを悪戯っぽい表情で見下ろす彼は、そらとぼけて分かりきったことを質問してくる。
 こくり、と赤いままの顔で頷けば、破顔してまた左手の薬指を撫でながら甘く、甘く囁いた。

「俺の『奥さん』は本当に可愛いんだが……自分に自信がないみたいでな? 俺がいくら愛してると言っても不安らしくて、少し困ってるんだ。どうすればいいと思う?」
……っ!」

 今度は顔だけではなく、全身が熱くなった。心臓が暴れ回って今にも飛び出してしまうのではないか、とさえ思う。
 ルフレを見つめるクロムの瞳も、囁くような低い声も、とても優しい。
 けれどその優しさは、他の生徒に向けるものとは『違う』のだと知らしめるように、蜂蜜をまぶしたみたいな甘さを視線に滲ませて、指輪を愛おしむように撫でている。何度も何度も。

……なあ、ルフレ?」
「せんせいの……いじわる」

 返せたのは辛うじてそれだけ。蚊の鳴くような声で呟いたルフレの頭にぽん、と手を乗せてクロムはーールフレの意地悪な『旦那様』は、満足そうに笑った。

 その日の午後、ルフレが取らなかった別の授業で、クロムは生徒たちが顔がそっくりの別人か? と不気味がるほどご機嫌だったらしい。

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