しかし書類仕事は肩が凝る。
長時間同じ姿勢でいた所為で、どうにも重い肩を片方ずつぐるぐると回しながら、聖王代理クロムは王城の長い回廊を歩いていた。
向かうのは聖王夫妻の間――その名の通り妻のルフレと共有する寝室である。本来は同衾する時だけ使うもので、一応床入り回数の記録やら諸々の準備やら何やらもあるから奥向きを管理する女官長にその意向を伝え、侍女が聖王妃の支度をして部屋に恭しく案内し、という手順を踏むのが普通、なのだが。
婚礼の儀からこちら、クロムたちが連日聖王夫妻の間で休むものだから、いつの間にか何も言わない内に湯殿も寝衣もそちらに用意されるようになっていた。
フレデリクや女官長曰く、それで貴族たちは随分ざわついているようだ。まあ、歴代の聖王夫妻が聖王の間と聖王妃の間、それぞれの私室で普段は休んでいたことを考えると分からなくもないものの、他人の閨事情であれこれ騒ぐな、好きにさせてくれ、というのが本音だ。
(……女官長も、俺とあいつの仲を見せつければ余計な横槍が減るし、一部の貴族たちからのルフレへの風当たりも和らぐとか言った口で、もっと新妻への思いやりを持てとか無理をさせるなとかがみがみ注意してくるしな……いったいどっちなんだ?)
短く嘆息したところでごき、と嫌な音がした。やはり、慣れない書類仕事で身体が凝り固まっているのだろう。
早く湯浴みをして全身を温め、ゆっくり休むのが一番なのだと分かっていても、仕事を離れれば日中は抑えていた本能的な欲求が勢力を取り戻す。
今すぐにでもルフレを抱き締め、その温もりを全身で感じながら、最近ますます艶を増してよい香りがする気がする長い髪に顔を埋めたい。勿論それだけではなくて、彼女の柔らかく肌理の細かい肌をあますことなく味わい尽くし、クロムだけしか知らないとろけた顔、甘い声で啼かせたい。
何しろ自分たちは新婚なのだ。婚礼の式を挙げてまだ――彼からすればまだ、である――ほんの僅か。一年も経っていない。
互いに気持ちは通じ合っていたものの、記憶もなく素性の知れないルフレを妃として迎えることにはやはり多くの反対があった。主に貴族たちからだったが、随分対応には難儀したものだ。
そうした紆余曲折を経て結ばれた新妻と、甘いひとときを過ごしたいというのは男して当然の欲求だと思う。
けれどもう外はとっぷり日が暮れているどころか、遅い夕食を取るのも躊躇われる時間帯だ。手伝うと言い張っていたルフレへ、明日は早朝から予定が詰まっているのだからと、先に部屋へ戻って休むよう伝えたのは随分と前のこと。さすがに眠っているだろう。
(昨日も……そのまた昨日も同じ状況だったな……)
はあ、と強張りの所為ばかりでなく重い肩を落とし、悩める聖王代理は再び溜息をつく。
近頃彼女とはすれ違ってばかりだ。日中、執務中は顔を合わせることも多いが、白昼堂々触れては相変わらず口うるさいフレデリクが渋い顔をするのは目に見えている。
それに何よりルフレは、夫との触れ合いを人に見られるのを極度に嫌がっていた。二人きりの時でさえ、恥じらってなかなか大胆に求めてくれないのだ。人前では尚更である。
夜は夜で、こうしてルフレの仕事が早く終わっても、クロムが遅い。逆にクロムの方で仕事の目処が付いて早く切り上げられても、ルフレが遅い。
クロムはそれでも彼女に触れられるならまったく構わないのだが、一度求めれば歯止めが効かなくなることが分かっているので、妻の翌日の仕事を考えると二の足を踏んでしまう。結局同じ寝室、寝台で休んでいても本当に共に眠っているだけ、というのが今の聖王代理夫妻の現状であった。
ペレジアの侵攻を退けた英雄と名高い聖王(ただし代理)クロムの現在の心境は、言うなれば欲求不満という、その一言に尽きる。
しかし毎日ほとんど休みなく忙しいのも、争いのない平和な世界を、と身を呈して訴えた姉、エメリナの理想の実現の為、また戦で傷付き疲弊した国土、民の為だ。それを思えば己の務めを放り出すことなど論外で、だからこそ愛しい愛しい新妻との触れ合いの時間がなかなか持てずとも、どうにか耐えていられるクロムだった。
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