ハロウィンに気をつけて - 2/3

 やがて夫妻の寝室の前に辿り着いた彼は、不寝番の侍女の丁重な出迎えを受け中へ入った。ルフレに付けている侍女は、身元も含め厳選に厳選を重ねたので少数精鋭だ。さすがに式典や夜会などの前は応援を呼ぶが、普段は限られた人数で日々の業務を回しているため大変だろうに、よく仕えてくれている。年齢が近いこともあり、ルフレも随分気を許しているようだ。
「ルフレは……もう休んでいるよな?」
「はい。陛下をお待ちになりたいようでしたが、明日は早いからと仰って、随分前に……」
 もしかしたら、と微かに期待を抱いて尋ねれば、やはり妻はとっくの昔に湯浴みを終え、寝支度も整えて就寝の挨拶もしたという。
 内心気落ちしたものの、先に休むよう言ったのはクロム自身。主夫妻が近頃すれ違っていることを知っている侍女経由で、落胆していたことが伝わるとルフレが気に病んでしまう。
 湯殿の準備が出来ていると教えてくれた侍女に礼を言って、続きの間から寝室に続く扉を静かに開いた。せめて、寝顔だけ先に見たい。出迎えるのは宵闇のみ――と思いきや、微かな明かりと「クロムさん」という小さな囁き。聞き間違えようのない愛しい声に、胸が高鳴った。 
「……ルフレ? 起きていたのか。明日は早いだろう? 先に休んでいてもらって構わなかったんだぞ?」
 緩む口元を抑えきれず、室内を見渡す。ルフレは夜着に薄い肩掛けを羽織った格好で長椅子の近くに佇んでいた。
 どうやら、寝台には入らず、長椅子の上でうつらうつらしていたところに、扉が開いたので立ち上がったところらしい。クロムの姿を認めると、少し眠そうでとろんとしていた表情を輝かせた。
「でも……今日はクロムさんのことをどうしても待っていたかったんです」
「はは、可愛いことを言ってくれるな。何かあったのか?」
 時に無愛想な、と評される顔は既に緩みきっていて、外向きのいかめしい雰囲気は跡形もない。何しろ夫婦の時間をなかなか持てずにいた妻が、明日が早いにもかかわらずわざわざ眠らず起きていてくれたのだ。顔も緩もうというものだ。
 極上の甘さでとろけた微笑を夫から向けられて、気恥ずかしそうにルフレは両手を差し出す。
「クロムさん、えっと……とりっくおあとりーと!」
「……は?」
 辿々しく発せられた言葉はまったくもって意味不明だった。それにその、何かを待つように差し出された両手は何なのだろう。思わず間抜けな声を上げたクロムの怪訝そうな表情を見て、彼女はあたふたと説明し始めた。
「あのですね、リズさんに聞いたんですけど今日は異界のお祭りの日なんだそうです。『はろうぃん』と言うらしんですが……」
「ほう、異界の祭りか。珍妙な名前だな。それで? お前の言った言葉とどう繋がるんだ?」
「はい、そのお祭りでは仮装をした人たちがさっきの台詞を言いながら、お菓子やご馳走を貰いに街を練り歩くんですよ」
 嬉々として説明してくれたルフレによれば、『はろうぃん』という異界の祭りは秋の収穫を祝う行事で、悪しきものを追い払うことが元々の目的だったとか。
 ただ近頃は子供たちが魔女やお化けなどに扮して、菓子やご馳走を貰って回るのが主になっているらしい。その際の合言葉が『とりっくおあとりーと』なのだそうだ。異界の言葉を、少し辿々しく発音する妻は非常に愛らしい。
「なるほどな……。だが菓子なんて持っていないが……どうするんだ?」
 尋ねながら、そういえば天才軍師と名高い彼女だが、意外と子どもっぽい一面もあったことを思い出す。にこにこと無邪気に笑うルフレを見ていると、日々の疲れも何もかも癒されるようだ。
 ……この時、クロムはこのまま湯を貰って大人しく休むつもりだった。色々と溜まっていたのは確かだったのだが、久々に夜、きちんと顔を合わせて話ができたこと、可愛らしい妻の様子を目にできたことでその不満も宥められていた。
 だから、本当に何もせず休もうとしていたのだ。この時点までは。……しかし。

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